【今週の紙面の主なニュース】(2021年11月13日号)

(1)在外ネット投票 海外で署名活動開始

(2)芽葺きの里・美山 久保修ワールド「秋」

(3)棟方志功NY展 ジャパン・ソサエティーで

(4)SEX and THE CITY  モデルルーム民泊人気

(5)日米選挙結果 2020年の政局

(6)NY日商年次ガラ「新たな地平」求め

(7)ジャーナリスト 北岡和義さん死去

(8)BOOKS 書評 山村美智 『7秒間のハグ』

(9)NY生活ウーマン グラミー賞に輝く日夢見て シンガーソングライターAYAKA. 

(10)まさにネイル・アート 付け爪40万枚の巨大噴水

在外ネット投票早急に

海外有権者が署名活動開始

 今回の衆議院選挙で海外有権者が投票できない、投票が無効となったとみられる事例が相次いだ。世界226の在外公館に投票所が設置されたが、コロナ禍を理由に世界14か国の在外公館が投票を受け付けなかった。現行制度で有権者が海外にいたまま投票できるのは公館投票と郵便投票飲み。「地方在住者は投票所まで遠くて交通費がかかる」「郵便投票は、手続きが煩雑で多大の努力と時間を要する」などの苦情はかねてからあったが、今回の衆院在外選挙で「不便にも我慢が限界」と海外の有権者が国政選挙へのインターネット投票の早期実現に向け署名活動に乗り出した。

 在外ネット投票を求める署名活動は、有志メンバーの子田稚子さん(米国在住)、田上明日香さん(イタリア在住)、ショイマン由美子さん(ドイツ在住)が発起人で、署名作成にあたり、海外有権者ネットワークNYの竹永浩之共同代表が助言・監修した。集まった署名は近く総務大臣、外務大臣、デジタル大臣に要望書を添えて提出する。

 インターネットを通じ海外有権者に呼びかけた署名運動に対し、目標1万人に対して11月9日現在で6098人が署名している。(署名サイトのリンクへのアクセスはインターネットで「在外ネット投票署名活動」を検索)。

 署名では次のように要望している。

 (1)2022年夏の参院選において、在外邦人を対象にネット投票の実証実験を行ってほしい。そこで得られた不備や欠陥等に基づいてシステムを改善し、本格導入を準備して欲しい。(2)2025年の参院選には在外ネット投票の確実な全体運用をお願いしたい。自分の大切な一票が無効になる。これは日本にいても海外にいても、絶対にあってはならないことだ。世界中のどこにいても選挙権が一人ひとり行使できるよう、誰でも簡単に確実に投票できるよう、在外ネット投票の早期先行導入をお願いしたい。

 現在、在外有権者約100万人のうち、在外選挙人登録されているのは約10万人のみ。今回の選挙で世界全体で1万9000人が在外投票したが、前回17年の衆院選より2000人ほど減り、在外有権者の投票率は約1〜2%と極めて低い水準だ。ネット投票が実現すれば、投票数が増えることが期待できる。

 投票の際の本人確認にマイナンバーを活用する案がある。現在、在外邦人はマイナンバーカードを持てないため「マイナンバーカードを紐づける在外ネット投票は実現不可能」といった懸念もあるが、2019年に公布された「デジタル手続法」で2024年までに在外邦人にもマイナンバーカードが付与されることが決定している。

有権者の声
現行制度に限界

 在外選挙は現行制度では、海外在住者が一時帰国して日本の投票所で投票することもできるが、海外にいたまま投票するには、在外公館に出向いて投票するか郵便投票するかの2つの選択肢しかない。特に今回の選挙は解散から投開票までの期間が戦後最短の17日間で投票にかける日程が少なかった。在外選挙は公職選挙法で公示翌日から投開票の6日前までという規定があるため、今回は投票期間が長くても10月20日から25日までしかなかった。(1面に記事)。海外有権者ネットワークNYが把握している世界からの主な苦情は次の通り(抜粋)。 

▽飛行機代6万円かけて在外公館投票に1日かけていった。在外投票疲れて死にそう(アメリカ在住)”

▽投票日に間に合うように高額のDHLで選管に郵便投票を送ったが、市役所・選管側が英語表記(またはローマ字)のあて名が読めず受け取り拒否をした(イギリス在住)

▽オーストラリアから選管まで国際エクスプレスで投票用紙請求かけたが、3週間もかかったので郵便投票間に合わなかった(オーストラリア在住)

▽郵便投票何度も試して一度も間に合ったことがない。2017年から飛行機で一人あたり350ドルかけて在外公館に行っている。早くネット投票導入してほしい(ニュージーランド在住)”

茅葺きの里・美山(京都)

久保修ワールド2021
春夏秋冬 FEEL JAPAN NOW

 日本を旅していると城下町や街道筋の宿場町には面影を伝える町家や伝統建築物の町並みを垣間見ることが出来る。里山で目にする茅葺き古民家も数は少なくなっているが、岐阜県白川村・福島県下郷村大内宿など、地方にはまだ残っているところもある。

 スケッチを重ねていくうちに、同じように見えていた茅葺き古民家にも気候風土にあった屋根の形や大きさ・棟や軒の屋根を支える小屋組の構造など多種多様な住む工夫、知恵、匠の技などが随処にあることが分かった。

 僕が描いたこの作品は、茅葺き古民家がたくさんあることで知られる京都府美山町の初秋から晩秋。京都のほぼ中央に位置し、読んで字のごとく美しい山々に囲まれている。美山町は、現在でも茅葺き古民家に普通に人が住んで生活している。美山町では、茅替え職人さんが技術を伝承しており、数人の若い茅替え職人さんが増えたそうだ。職人が増えた事もあり、茅葺き屋根に戻す民家も出てきていると聞いた。

 やがてこの里にも雪が降る。まもなく冬支度が始まる。(くぼ・しゅう/切り絵画家/東京都在住)

棟方志功展覧会

所蔵作品100点余り

ジャパン・ソサエティーで12月10日から

  ジャパン・ソサエティー(JS)・ギャラリーは、棟方志功(1903〜1975)の100点に及ぶ作品を紹介する展覧会「棟方志功—板極道—」(むなかたしこう—ばんごくどう—)を12月10日 (金)から来年3月20日(日)まで開催する。米国最大の棟方コレクションであるJSの貴重な所蔵品をもとに構成された本展は、「世界のムナカタ」と名をとどろかせた木板画だけでなく、書道、墨絵、水彩画、リトグラフや陶芸など幅広い作品を紹介するとともに、20世紀を代表する想像力豊かな芸術家である棟方の魅力に今一度焦点が当てられる。(写真:Shikō Munakata, Mukō-machi: Crossing Point of Highways, from the Tōkaidō Series, 1964 (detail). Photograph by Nicholas Knight.)

NY滞在中、作品創作にかかる前に書道でウォーミングアップする棟方。(Shikō Munakata doing his morning warmup exercise: Calligraphy, NYC.© Béla Kalman. Courtesy of Museum of Fine Arts, Boston)
JSでシロタ・ベアテ・ゴードンさんの解説で講演する棟方。(Courtesy of the Family of Beate Sirota Gordon)

 展覧会のデザインは建築事務所MAOが担当。棟方は1903年青森県生まれ。白黒板画や、自由でスケッチのような作風で知られる木板画の世界的巨匠。スイスのルガノ第2回国際版画展(1952年)や第28回ヴェネツィア・ビエンナーレ(1956年)、名誉勲章(1963年)、文化勲章(1970年)を受賞。入場料は一般12ドル、シニア・学生10ドル。チケット購入は ボックスオフィス電話212・715・1258まで。開館時間は木曜日〜日曜日の正午〜午後6時。www.japansociety.org

SEX AND THE CITY舞台をモデルにした部屋

民泊サービスで人気沸騰

 ニューヨークを代表するドラマのひとつ、セックス・アンド・ザ・シティ(SATC)をモデルに民泊サービスのエアービーエヌビー(Airbnb)がドラマ主人公のキャリーの部屋を完璧に再現して貸し出した。11月12日と13日の2日間、放送開始からの23年間に因み一泊23ドルで貸し出す。なお宿泊料はすべてハーレム・スタジオ美術館に寄付される。残念ながら既に予約受付は終了したが、宿泊者にはキャリーを演じたサラ・ジェシカ・パーカー本人からバーチャルでの挨拶、ドラマオープニングで着用されたチュチュなどの彼女のお気に入りの服たちや靴が詰め込まれたクローゼットの鑑賞とドレスアップも可能。

 アイコンカクテル「コスモポリタン」を飲みながら、パソコンに向かって物思いにふけったり、2000年代のコードレス電話で友人とおしゃべりを楽しむことができる。1998年にNYの30代のリアルな恋愛事情コラムを原作としてスタートした同ドラマ、50代になってより複雑になった人生や友情の現実の舵取りが描かれる続編の最新作「And Just Like That…」はHBO Maxから12月に配信予定だ。  (佐久間)

日米の選挙結果を受けて、2022年の政局を考える

 日本では10月31日の投開票で総選挙が終わり、アメリカでも、11月2日に一部の地方選が行われた。これで両国とも政局が安定したかというと、残念ながらそうは行かない。日本の場合は、岸田政権への信任がされたかに見えるが、総理としては来年2022年夏の参院選に勝たねば政権基盤は固まらない。一方で、アメリカのバイデン政権の場合は2022年11月の中間選挙まで1年を切る中で、政局運営は益々厳しくなっている。

 まず、そのアメリカだが、多くのメディアはバージニア州知事選における民主党の敗北を大きく取り上げている。LGBTQの権利や人種問題などでリベラルな政策を強めすぎる教育政策への反発、あるいは共和党のトランプと距離を置いた選挙戦が成功したというような解説とともに、民主党退潮かという危機感を煽るものが多い。だが、同時にニュージャージー州の知事選でも苦戦していることを考えると、民主党の抱える問題は別と思われる。

 ニュージャージーでは、コロナ対策にリーダーシップを発揮した現職のマーフィー氏が事前の世論調査では圧勝という予想がされていた。だが、フタを開けてみると、トランプ的な言動を繰り返してきた共和党のチャタレリ候補が猛追。現職としては意外な辛勝となった。私は投票日当日に、左右両派にスイングすることで有名な町を通る機会があったが、チャタレリ候補のファーストネームである「JACK」という看板が林立しており驚かされた。しかし、ここはニュージャージーである。ストレートなトランプ派の数は多くはないわけで、民主党州政への反発はイデオロギー的なものとは思えない。つまり、一連のコロナ禍における「不自由」への反発と考えるべきだろう。この町の場合、確かに地元に根ざした巨大スーパーでは、マスク着用率は終始低く「コロナ禍へのストレス」が感じられたからだ。ということは、バージニアで起きたことも、イデオロギーというよりもコロナ疲れという深層心理と見た方が良さそうだ。

 問題は、このコロナ疲れというのが、中道から右の世論には相当に根深いということだ。マスクを強制された恨み、職を失ったというよりもレストラン、バー、ジムを閉鎖させられた恨みというのは根深く、そして簡単には水に流せるものではない。これにワクチン接種を強制されることへの本能的な反発がある。アメリカ保守の抱える、独特の自己決定権信仰は、簡単に修正できるものではなく、ロックダウンもワクチンも、「2度と経験したくないという怨念」として残りそうだ。

 ここにバイデン政権の最大の困難がある。アメリカのワクチン接種率は、いつの間にか日本に抜かれ、今では全人口に占める「接種完了者」では14%も離されている。その差が、何乗にもなって感染率の大きな差となっている。だが、これ以上「接種義務化」を進めることには政治的なリスクが伴う。それでも、バイデン氏は官民の職域における義務化を進める構えだが、その先には、予定通り実施できるかという問題と、その結果として日本のような感染の抑え込みができるかという問題が問われることになる。だからこそ、審議に難航したとはいえ巨額のインフラ予算を通して景気の維持に努めるなど、とにかく前へ進むしかない。これからの1年、バイデン政権の道のりは非常に厳しいと言えよう。

 一方で、自公政権が信任を受けた形となった日本の政局は遙かに安定しているように見える。だが、日本には別の困難がある。1つはアジアの軍拡競争の問題だ。総裁選と総選挙を通じて日本では「敵基地攻撃能力」についての論戦が盛んとなった。日本人は「いつもの保守アピール」という「内向きの話」と思っていたようだが、実は近隣国の世論を刺激しており、放置しておくと東アジアにおける軍拡競争が加速する危険がある。一方で、円安がズルズルと危険水域に入ってきた中では、計算として軍拡競争へ回すキャッシュフローは限られる。つまり「円安+緊張拡大」を求心力としてきた安倍路線が成立しなくなっているのだ。では、岸田氏に「円高+緊張緩和」へと国策を転じるだけの決意があるかというと疑問が残るわけで、日本が直面する潜在的な危機はアメリカの比ではない。

 とりあえず選挙の季節は終わったが、日米ともに政局が「一寸先は闇」であることに変わりはない。

(れいぜい・あきひこ/作家/プリンストン在住)

ジャーナリスト 北岡和義さん死去

 本紙連載東京だよりや新年寄稿でお馴染みのジャーナリスト、北岡和義さんが10月19日午後6時30分、肝臓がんのため東京都内の病院で死去していたことがこのほど明らかになった。享年79歳だった。岐阜県出身。葬儀は家族で行った。生前の本人の希望で弔問などは辞退している。喪主は妻邦子さん。

 読売新聞記者や北海道選出の横路孝弘・衆議員の議員秘書を経て1979年に渡米。ロサンゼルスの邦字経済新聞社USジャパンビジネスニュース社編集長の後、邦人向け放送局JATVを設立。2006年帰国、日大国際関係学部特任教授を務めた。著書に1981年のロス疑惑の謎に迫った『13人目の目撃者」、在外投票運動を記録した責任編集『海外から一票を!』などがある。2007年ロサンゼルス在外公館長表彰を受けている。

惜別–評伝

三浦和義事件と北岡さんのことなど

 「ロス疑惑」と呼ばれた事件が1981年にロサンゼルス市であった。「三浦和義事件」とも呼ばれた。日本中が、一億総探偵団になってテレビに釘付けになった出来事だった。簡単に書くと1981年、ロサンゼルスで起こった殺人事件に関して、当初ライフル銃で撃たれて死亡した三浦一美さんの夫で被害者と見られていた三浦和義が「保険金殺人の犯人」ではないかと日本国内のマスメディアによって嫌疑がかけられ、過熱した報道合戦となり、結果として劇場型犯罪となった。殺人事件に対する科学的な考察よりも、その男性にまつわる疑惑について盛んに報じられた。三浦は、2003年に日本で行われた裁判で無期懲役から一転して無罪が確定した。しかし、その後の2008年に米国領土内において、共謀罪でアメリカ警察当局に逮捕され、ロサンゼルスに移送後ロサンゼルス市警の留置施設にて、シャツを用い首をつって自殺した。この事件の発端を在京特派員たちを尻目にぶっちぎりでスクープしていたのが、先月亡くなった元読売新聞記者で、当時、USジャパンビジネスニュースという地元経済新聞の編集長をしていた北岡和義さんだった(5面に記事)。北岡さんの著者『13人目の目撃者』(恒友出版)からその一場面を引用し、紹介する。

■場所■1981年9月、ロサンゼルスのUSジャパンビジネスニュース編集部

     ◇

 事件から十日くらいたったある昼休み、食事をしていて自然と三浦夫妻の話題が出た。例の事件は怪しいですよと誰かが言ったらしい。編集部で最年少の記者、三浦良一(25)が、その話を聞いて妙な事を言い出した。

「あの三浦から殺人を頼まれたっていう男がロスにいますよ」

「なにい?」

 私の手がハタと止まり、三浦を正面から見すえたため、彼は急にしどろもどろになって、「いえ、そういう話を聞いた男がいるんです。ボク会いました。ちょっと軽薄な野郎なんですがね。でも本当ですよ。『お前、人、殺せるか』って三浦が聞いたようです」

 弁解口調で彼はしゃべった。話を聞いたのは、3、4日前だという。

「そんな大事なこと、どうしていままで黙っていたんだ」

 私は思わず声を強めた。前々から気にしていた事件である。三浦記者がリトルトーキョーの喫茶店で聞いてきた話を聞き流すことはできない。詳しく話すように促すと、彼はこう説明した。

「ウエラーコートの二階の喫茶店でコーヒーを飲んで、隣に座った男と話していたんです。その男、ヤマハの関係の仕事をしてるというもんですから、ボクはレコードの企画の話をしたんです。できたら彼に原稿、書いてもらおうか、と思って。まあ、ちょっとチャランポランなとこ、ありましたけど」

 レコードの企画というのは彼が文化面の片隅に始めた話題のレコードを紹介、解説するコーナーのことを指していた。それがきっかけで世間話をしていると突然、その男が言い出したという。

「あんた新聞社の人なら知ってるやろ。あの三浦の事件、実は殺しをあいつに頼まれた奴がいる」

 そこで三浦良一は彼の名前と電話番号を聞いた。だが、あまりに話が唐突すぎるし、内容が尋常でないので、三浦は半信半疑で、その話を聞き流していた。

 私はすぐ、その男と連絡をとるように命じ、私自身が会うと言った。幸いすぐ本人がつかまり、私は三浦記者とニューオータニのロビーでその男に会った。

 彼の話は本当だった。ただ「殺しをやれるか」と聞かれたのは彼ではない。福原光治という寿司レストランの板前で彼の友人だという。

「オレに似てる」といって北岡さんが亡くなる直前までFBのサムネイルに使っていた似顔絵(1982年に描いたもの)

 社に戻って、私は友人の新聞記者に電話した。

「最近、面白い話ない?」

そんなふうに探りを入れてみると、

「三浦事件だろ」

とずばり返事が返ってきた。さすが社会部出身、カンが鋭い。

「社会部記者は生きていたね」

 私は軽くからかった。彼は私のつかんだネタについて質問した。そこで簡単に夕方に聞いた殺人依頼された男がいるという情報を話した。

「大きい(ネタ)じゃあない」

彼は電話の向こうでうなった。事実とすればもちろんトップものだ。

「オレいまからそっち行くよ」

 夜8時を過ぎていたが、彼は私の社に飛んできた。

     ◇

 そして、翌年3月、一人の週刊誌記者がロサンゼルスにやってきた。羽田と名乗る記者は、週刊文春の記者だった。すでに事件に疑惑を持って取材に来ていた。殺人依頼の話を彼に話すとメモを取って帰っていった。その2か月後の5月。「疑惑の銃弾」というシリーズが週刊文春で始まり、日本中がロス疑惑の渦に巻き込まれていった。

     ◇

 事件から何年たったのか覚えていないある日、北岡さんが「でも変だよな、北岡和義と三浦良一、二人合わせて三浦和義だもんな。でもなんでオレが三浦くんの下なんだ?ワハハハッ」。事件を抜いた記者の笑顔と笑い声が今も耳に残る。(三浦良一記者、イラストも)

NY日商年次ガラを開催

「新たな地平」求め

日系企業101階に集う

日本人宇宙飛行士の野口さん基調講演

 ニューヨーク日本商工会議所(JCCI、高岡英則会頭/北米三菱商事会社社長)は4日、ハドソンヤードのピーク101階で「第37回アニュアル・ガラ」を開催した。 当日は冨田浩司駐米特命全権大使、石兼公博国連大使、NY総領事の山野内勘二大使、元NY総領事の櫻井本篤大使、ジャパン・ソサエティーのジョシュア・W・ウオーカー理事長はじめ日系企業の代表ら185人が参加した。(写真:NY日商の年次ガラで挨拶するJCCI高岡会頭(4日))

 このガラは、日米財界人の交流親睦とビジネス強化を目的に開催されるもので、毎年多くのビジネス・リーダーが一堂に会するニューヨークでも最大規模のチャリティー・イベント。今年はコロナ禍収束の兆しが見える中での2年ぶりの開催とあって、ワクチン証明を求めて久々の対面方式で日系企業加盟会社のメンバーが一堂に会した。

 今年のガラ・チェアを務めた伊藤忠インターナショナル会社の社長、茅野みつるさんが君が代を国歌斉唱し、見事な歌声を披露した。基調講演では、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙飛行士、野口聡一さんが国際宇宙ステーションとクルードラゴンについて「ニューホライゾン」になぞらえて講演。特別ゲストとして、米不動産大手、リレーテッド・カンパニーのスティーブン・ロス会長に対談形式で茅野さんが壇上でインタビューした。 

 日米及び世界の友好と理解に貢献した個人に与えられる功労賞「イーグル・オンザ・ワールド・アワード」は、前駐日米国大使のウィリアム・ハガティ上院議員とマスターズ・トーナメントで優勝したプロゴルファーの松山英樹さんに授与された。また特別顕彰として第42代米国副大統領で第24代駐日米国大使を務めたウォルター・モンデール氏(故人)にコメモレイティブ・アワードが贈られた。

我が追憶のラブストーリー

山村美智・著
幻冬舎・刊

 元フジテレビアナウンサーで女優の山村美智さんの新著『7秒間のハグ』(幻冬舎)の出版記念バーチャルレセプションが10月27日に日本と全世界を結んで行われ、216人が参加した。同書は、山村さんの夫でミスターフジテレビと言われた宅間秋史さんとの出会い、結婚、ニューヨーク生活、そして宅間さんの食道がんとの闘いと夫婦の愛と絆を一冊にまとめたノンフィクションだ。

 1980年にフジテレビに入社した山村さんは、後に「オレたちひょうきん族」のベストテンコーナーの司会に抜擢される。山村さんの目を通して当時の元気いっぱいの日本の民放の躍動感が伝わってくる。

 本のベースにあるのが、「モダン会」というフジテレビで入社時期の近い5人の男女の仲間たちの友情だ。仲間と言っても仕事上、共に働いたことはない。ネットワーク部の遠藤龍之介、営業部の永山耕三と宅間秋史、ワイドショーにいた寺尾のぞみ、アナウンス部の山村美智の5人。海に行ったり、プールパーティーを主催したり飲み会をしたりする気の合う仲間だ。

 山村さんは、そのモダン会の仲間だった宅間さんと結婚。退社し、2003年から08年までの5年間を夫のニューヨーク駐在に伴って当地ニューヨークで生活した。山村さんは、駐妻だけの時間と立場に物足りなさを感じ、自分の中にある芝居に目が向いた。山村さんは、フジテレビに入社する前の大学生時代、「東京キッドブラザース」の役者だった。日本で上演した二人芝居を英語で上演するプロジェクトを始めて2年半後の2007年、NYのオフブロードウエーで二人芝居「I and Me & You and I」を上演した。「ニューヨーカーたちが膝を叩いて大笑いし、鼻を啜りながら泣いてくれたことをとても印象深く覚えています」と振り返る。共演した加山雄三の娘で女優の池端えみも体当たりの演技を見せた舞台だった。

 2019年7月、自宅の電話が鳴った。夫からだ。「みっちゃん、ごめんね・・・食道がんだった」。さらりと明るい声で夫は告げた。そして翌年12月18日午後10時44分。宅間さんは旅立った。本書は、その1年半の闘病生活と夫婦の絆にページの大部分を割いて描いている。描写はまるでテレビドラマを見ているようだ。

 もし「モダン会」をモデルにしたテレビドラマがあったなら出演者は誰だろう。本を読み終え、勝手に配役を考えてみた。全員が28歳頃のイメージで、後にフジテレビの社長、副会長となる遠藤龍之介役に三宅裕司、「東京ラブストーリー」「ロングバケーション」などヒットを生んだプロデューサー永山耕三役に時任三郎、ミスターフジテレビの夫、宅間秋史役に福山雅治、主人公・山村美智に名取裕子、NYへ渡米する寺尾のぞみ役に片平なぎさ、か。もちろんタイトルは「7秒間のハグ」。相手を理解しようとする愛情ホルモン「オキシトシン」が湧き上がるという「ナナハグ」は、夫の宅間さんと山村さんが結婚当初から決めた夫婦のスキンシップだ。

 幻冬舎の社長、見城徹氏から「血を流さないといい本は書けない」と言われた。山村さんは「愛という名の血」をこの本で輸血が必要なほど注いでいる。(三浦)

グラミー賞に輝く日を夢見て

シンガーソングライター

AYAKAさん

 シンガーソングライターAYAKA。本名は山本彩加。1988年8月生まれ。大阪出身。幼少期からクラシックピアノを始め、高校では軽音楽部に所属、部活の大会を通してステージで歌う事、歌で人の心を動かす事が出来る楽しみを知り、シンガーとしての道を志し、音楽専門学校へ進学した。専門学校を卒業後、アーティスト活動を中心にボイストレーニング講師として音楽教室にて勤務しながら関西を中心にライブハウスなどでのイベントに出演してきたが、2014年4月、日本での活動に限界を感じ、活動拠点をニューヨークへ移した。

 当地では、リゾート・ワールドカジノ、SOBs、シュガーバーなどでパフォーマンスを精力的に行ってきた。3年前に知り合いの勧めで英語での作詞に興味を抱き、ソングライターとしての活動を開始した。

 音楽家としての活動経歴は、2006年 近畿地区軽音楽系コンテスト「We are sneaker ages」にて大阪府教育委員会賞受賞。2010年8月 NHKのど自慢泉大津市大会で優勝も。来米翌年には在ニューヨーク台湾領事館で行われた「ニューヨークへの留学生歓迎イベント」でパフォーマンスしたほか、16年9月 ニューヨーク、ハーレム地区にてワンマンライブ、18年10月 ファーストEP「Miracle/Dreams」をリリース、そして今年5月にセカンドEP「My story」をリリースした。

 現在新たなブームとなっているレコード(ビニール版と米国では表記)での新曲リリースに向けて同時進行中の毎日だ。今回の新曲では、現在の自身の生活と理想の間で生まれるジレンマを歌っている。レコードでのリリース予定の楽曲では自身の亡き父への思いを歌っている。新曲は年内リリース予定、レコードは来年初旬リリース予定だ。

 将来の夢は何かと尋ねると、すばり「グラミー賞受賞を実現したいです」と夢は大きい。これからは、日本国外で現地の言語で活動する初の日本人シンガーソングライターとして、多くの人たちに音楽を届けたり、現地でのTV・映画・コマーシャルなどのタイアップ、コロナ収束後にはイベント出演など様々な結果を残していきたいと思っている。

 「たくさんの方々へ日本のコミュニティを飛び出して、幅広い層の人たちと音楽活動を行う事の楽しさや厳しさ、年齢はもちろん関係なく、継続して努力していれば必ず成果となるというメッセージを届けたいです」と語る。それは自分自身に対するエールでもある。(三浦良一記者、写真も)

まさにネイル・アート

付け爪40万枚の巨大噴水

 タイムズスクエアに10月14日、アクリル製の付け爪40万枚を施した、噴水のパブリックアートが登場した。タイムズスクエア・アライアンスはアートを通してタイムズスクエアの活用を促すパブリック・アーツ・プログラムの一環として、新型コロナウイルス感染のパンデミックから復興するニューヨーク市のシンボルを制作しようと、ロングアイランド在住の彫刻家パメラ・カウンシルさん(35)に依頼した。タイムズスクエアで初となる噴水アート「ファウンテン・フォー・サバイバーズ」は高さ18フィート、ラッパーのミーガン・ジー・スタリオンさんなど有名人のネイルも使われている。

 カウンシルさんは10年以上も付け爪アートを製作している。2012年には、アートネイル好きで知られたオリンピック陸上競技メダリストの故フローレンス・グリフィス=ジョイナーを偲ぶ作品で話題となった。付け爪を素材にすることについては「ネイルは常に威厳や強さ、グラマーを象徴する」とし、開幕式で同作品について「さまざまな挑戦やトラウマを乗り越えたサバイバーたちの美しい不屈の努力を称え、決して壊れることないスピリットを祝い、この作品をNY市に捧げる」と述べた。製作は今年5月に始まり、地元のネイル・アーティストたちにネイルづくりを依頼し、コロナ禍のなかでズーム会議などしながら、ブルックリンの作業所で160日間かけて完成した。展示は12月8日まで。

編集後記 11月6日号

【編集後記】

 みなさん、こんにちは。本紙「週刊NY生活」を発行するニューヨーク生活プレス社は10月21日、一般社団法人海外日系新聞放送協会(本部・横浜市)への入会が同日開催された2021年第1回総会において満場一致で承認され、海外で19番目の新会員として登録されました。

 今後は海外在留邦人向けに日本政府が発信する政府広報、日本文化・生活事情の対外広報などの円滑な情報提供を受け、国政選挙においては各政党広告の事務局における受注を通じて在外選挙への海外有権者への積極的な国政参加を促すなど、在外邦人に有益な情報をさらに提供できるようになりました。

 同協会は、日本国外での新聞発行事業主の健全な発展を通じて国際的理解の促進を図り、会員相互の親睦と共通の利益を守ることを目的に1974年に北米、南米で発行する邦字新聞15社が集まり結成されました。今回、米東海岸で唯一の邦字新聞会員として「週刊NY生活」が承認されたことで、独自取材のスタイルを守りながら紙に印刷された新聞の配布とオンラインのウェブ版・デジタル版(www.nyseikatsu.com)を通じ、フリーペーパー媒体の品質と地位向上にさらに一層努力して参ります。 それでは、みなさん、よい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)