小室眞子さんと圭さん夫妻、NY到着

 秋篠宮家の長女、小室眞子さん(30)と夫の圭さん(30)が14日、ニューヨークに到着した。やっと着いた。マスク越しだがそんな心持ちが眞子さん、小室さんの表情に見てとれた。二人を乗せた羽田発全日空110便は、定刻よりも 24分早い午前8時36分にジョン・F・ケネディ国際空港に着陸し、ターミナル7に機体を停めた。混雑を避けるため、空港側の配慮で、隣接するブリティッシュエアウェイズの2階出発ロビーを通って一階到着出口を使う一般搭乗客とは別経路で飛行機から降りた。(写真上:羽田発全日空110便でNYに到着した眞子さんと小室さん(14日午前9時過ぎ、ジョン・F・ケネディ国際空港で、写真は代表撮影))

 ニューヨーク警察、空港警備員などに囲まれて服部茂全日空NY支店長の誘導でロビーに姿を現した2人はターミナルの出口で待っていた報道陣から「お疲れさまでした。ニューヨークでのこれからの新生活への思いを一言いただけますか」という代表質問には、2人とも小さく何度か会釈をしたが立ち止まって答えることはしなかった。

 圭さんの服装は出国する時と同じピーコックグリーンとホワイトのカーディガンの中にTシャツというカジュアルな出で立ち。眞子さんは、出国する時に手に抱えていたダークグリーンのコートを着てパンツに足元はヒールのあるブーツ姿。建物から出た後、待機していた黒いワゴン車に乗る前に、誘導していた関係者に眞子さんは左に右に何度もお辞儀をして、目尻が下がるほどの笑みをマスクの下で見せていた。圭さんは横で静かに髪の毛を掻き上げる仕草をしていたが、眞子さんのお辞儀と挨拶が終わるとさっと右手を出して眞子さんを先に車に乗せ、続いて自分も車に乗り込んだ。

 ドアが前にスライドして閉まったあと、車の中で眞子さんが窓を開けて皆さんにご挨拶をと言っている様子で、圭さんがすぐ窓を開けて、二人で会釈、早くも奥さんぶりが板についた微笑ましい姿を残して空港を後にした。

幸せになるために
NYにやって来たふたり

空港で車に乗り込む小室夫妻、代表撮影/下も代表撮影の映像から

 連日、日本のテレビニュースで見ていた緊張した面持ちの眞子さんはそこにはいなかった。好きな人と新天地で暮らし始めた幸せと嬉しさに満ちていた。そしてそれとは対照的に先を歩く小室さんは、これからの自分に待ち受けているであろう仕事や司法試験、何よりも初めてのニューヨーク生活をスタートする妻となった眞子さんを日々の生活から守らなくてはならないという顔があった。

 眞子さんは結婚時の記者会見で、海外に拠点を置くことは自身の希望だったとし「心穏やかに過ごすことのできる環境で、あたたかい家庭を築いていきたい」としていた。飛行機が着陸して手荷物だけを片手で引いて、安堵の雰囲気を漂わせた二人。車に乗り込む前に出口まで誘導した空港関係者や警備の人たちに、右に左にキビキビと何度もお辞儀をしていた。動画を確認したら7回もお辞儀をしている。そこには皇室として見せていたエレガントな身のこなしに加えて、一般国民には見る機会のなかった若者の快活な笑顔があった。迎えの車は本人たちが手配した。すでに住む住居を確保できており、小室さんはマンハッタンにオフィスのある大手米法律事務所で弁護士助手として勤務する。来年2月にニューヨーク州の弁護士資格取得試験を再受験する。眞子さんは、将来は米国での共働きも視野に入れているといわれるが、就労ビザ取得まではしばらく時間がかかることから、当面は小室さんを家庭から支えることに専念するものと見られている。

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現代舞踊家の田中いづみ、東京で宣言解除後の初公演

 ニューヨークで20年間、現代舞踊家として活躍しNY大学で講師を務めた田中いづみ氏が2日、東京江東区の公会堂「ティアラこうとう」で舞踊作家協会主催「〜21世紀の風伝(ことづて)〜 今、再びクロスオーバー」を公演した。 (写真上:田中氏と花柳氏のコラボレーション新作「水の星」から)

 舞踊作家協会は隔月で公演を行っている。219回目の今回は同協会会員の田中氏と日本舞踊の花柳面氏が芸術監督として企画し、2人が韓国、スペイン、中国の舞踊家3人と創設したグループ「peace by dance」が、コラボレーションとソロの全4作品を披露した。 

「peace by dance」のメンバー。左奥から日本舞踊の花柳面氏、中国舞踊の鈴木彩乃氏、田中いづみ氏、韓国舞踊の裴祗演氏、手前はスペイン舞踊の池谷香名子氏

 田中氏は2000年から地球環境を危惧した作品を発表しており、ソロの新作「黄色い空」では、明るさを抑えた照明の下、シンプルな薄い紫の上下衣装を纏い、温暖化が進むなかでの葛藤や戸惑いを表現した。なぜ「黄色」なのかという問いに対し田中氏は「汚染で淀み、この先どうなるかわからない、現状ではありえない空気の色として黄色と表現し、生きるために不可欠な空気が変わらないで欲しいという思いを込めた」と解説している。 

 4作品目「水の星」は5人のコラボレーションで、「宇宙の漆黒の闇のなかを ひっそりまわる水の星(地球)」で始まる詩人、茨木のり子の同名の作品が元になっている。5人は白に統一した各ジャンルの衣装で、前半は、同じ振付でありながらもそれぞれのジャンルの特徴的な舞と表情を活かした「孤独さ」、後半は、公演名「クロスオーバー」が意味するように、誰もが国や文化を越えた地球人であることを表現した。 

新型コロナウイルス感染の緊急事態宣言で公演の中止が相次ぎ、田中氏にとって観客を入れての公演は昨年2月以来、約1年8か月ぶりとなった。今年5月には、同氏が率いるダンスアカデミー「石川須妹子・田中いづみダンスアカデミー」(東京都練馬区)の発表会を無観客で行った。コロナ禍で多くの芸術家が動画配信などを選択するなか、田中氏は「舞台で、観客の前で踊ることが醍醐味でありベストだと思っている」と話している。    (浜崎都)

 田中いづみ=石川須妹子・田中いづみダンスアカデミー主宰。文化庁芸術家在外研究員として渡米。NY大学大学院舞踊教育学科にて修士号を取得、元同大学講師。共著に『現代舞踊のパイオニア』『作舞の動機と手法』。 

住まいは西52丁目、1寝室のアパート

 14日付デイリーメール紙が電子版でミッドタウンウエストのヘルズキッチン地区52丁目にある392世帯が入る集合住宅建物に空港から直行した小室眞子さんと圭さんの荷物が運ばれたと報じ、ワゴン車から下車する2人の写真を掲載した。同日付NYポスト紙も夫妻がワンベッドルームを賃貸したと伝えた。同ビルのウェブサイトによると1寝室の家賃は4300ドルから。上層階からはハドソンリバーやセントラルパークが見える。

眞子さんも納得のロケーション
ヘルズキッチンのワンベッドルーム

 ヘルズキッチンは、南端が34丁目、北端は59丁目、東端は8番街、西端はハドソン川までの区域を指す、古くは「ウエストサイド物語」の舞台となった地区だ(ヘルズキッチンについては別稿・不動産トレンド欄参照)。写真の部屋は、そのヘルズキッチンのど真ん中、西52丁目に建つ2017年建設の392世帯が入居するレンタル専用の集合住宅のワンベッドルーム。建物最上階にラウンジがあり、屋内にフィットネスセンター、スパ、図書館、打ちっぱなしのゴルフ・シミュレーター室がある。上層階からはハドソンリバーやセントラルパークが見渡せる。一寝室の家賃は4300ドルからとなっている。

 この建物は、ブロードウエーの劇場街とも隣接していて、演劇や舞台芸術の殿堂リンカーンセンターやメトロポリタン歌劇場、カーネギーホール、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、セントラルパークまでもすべて徒歩圏内にある。地下鉄の便もよくEライン、1番ラインが通る59丁目のコロンバスサークルや42丁目のタイムズスクエアなどにも近い。もちろん、ミッドタウンのビジネス街へも歩いて通勤できる便利さだ。

 14日付デイリーメール電子版とNYポスト紙電子版が相次いで、日本から到着した小室眞子さん、圭さん夫妻が、ジョン・F・ケネディ国際空港から直行でワンベッドルームを賃貸契約したこの建物に着き、荷物を運び入れたと写真付きで報じた。ここなら圭さんが勤務する大手法律事務所へも歩いて通勤できる場所だ。住居選びは、3年NYに住んで土地勘のある圭さんならではのベストチョイスか。二人が住む部屋が、上の写真と同じ間取りかどうかは分からないが、ロケーションの良さは眞子さんもおそらく納得だろう。

マンハッタンで駐在員に人気の居住エリア
ミッドタウンウエストのヘルズキッチン

 ワクチンがかなり普及したこともあり、マンハッタンの街はコロナ禍を抜け出しつつあります。オフィスへの出社を再開する企業が増え、さらに新規雇用の活発化に伴い、街に活気が戻ってきました。

 不動産マーケットでは、マンハッタンの街の復活に伴い、賃貸物件の空室率がかなり低くなっています。

もともとオーナー(大家)側が有利な賃貸住宅市場ではありましたが、コロナ渦でテナント有利になったのも束の間、またもやオーナー有利な市場に逆戻りしています。

 マンハッタンでは、新築、または築浅物件の多いミッドタウンウェストが駐在員に人気の居住エリアとなっています。中でもヘルズキッチンは非常に高い人気を集めています。ヘルズキッチンとは南端は34丁目、北端は59丁目、東端は8番街、西端はハドソン川までの区域です。ヘルズキッチンの名前の由来は諸説ありますが、19世紀半ばからこのエリアにギャング団が現れるようになり、「アメリカ大陸でもっとも危険な地域」と呼ばれるようになりました。その治安の悪さからヘルズキッチンと呼ばれるようになったとも言われています。1990年代半ばより治安は回復し、現在ではその立地の良さから高級住宅街となりました。

 ヘルズキッチンと言えば、アル・パチーノやシルヴェスター・スタローンの出身地でも有名です。

 フィクションでは、マーベル・コミックのスーパーヒーロー、デアデビルの出身地とされており、映画版『デアデビル』やネットフリックスの『デアデビル』や『ジェシカ・ジョーンズ』『ルーク・ケイジ』の舞台としても登場しています。

 日系の美味しい居酒屋やラーメン店を始め、多種多様なレストランが軒を連ねており、外食には事欠きません。

 さてこのヘルズキッチンの家賃相場はというと、最近では、スタジオで3500ドル、ワンベッドルームで4500ドル、2ベッドルームで5500ドル以上と、人気エリアだけあってやや高めとなっています。

(リロ・リダック マンハッタン住宅部、岡畠伸江)

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JAL東京-NY就航55周年

JFKで祝賀特別イベント開催

 日本航空は12日、東京=ニューヨークを結ぶ路線の就航55周年を祝う特別企画イベントをジョン・F・ケネデイ国際空港ターミナル1で開催した。

 12時15分発の日本航空8005便成田空港行きの出発ゲート。式典が始まる前に客室乗務員が搭乗口で整列し、待合室の乗客に向かって一礼し機内へ。

 式典のオープニングスピーチで藤井フランク・ニューヨーク支店長が「55年前の今日、1966年11月12日、ニューヨーク線が開設され、乗客110人を乗せたジェット機ダグラスDC8型機「SETO」号が第1便として羽田空港とニューヨークをホノルル、サンフランシスコを経由して就航しました」と紹介し、乗客、日々の運航を支えている空港職員、関係者に感謝の言葉を述べた。続いて、歴代の地上係員の制服が紹介され、職員たちがモデルとなってお披露目をした。

 ゲストスピーカーとしてジョン・F・ケネディ国際空港ターミナル1のスティーブ・ローランド代表が祝辞を述べた。続いて元ヤンキースの大リーガー、松井秀喜さんが祝辞を述べた。松井さんは「55周年と私の背番号55が同じでとても親近感を感じる。ニューヨークと日本を行き来する時は必ず日本航空にお世話になっている。どんなに疲れていても忙しくても機内でとてもくつろげる空間を提供していただき私の楽しみになっている」と挨拶し、サインの入った記念ボールを抽選で当たった5人の乗客に手渡した。また55年前の就航時からレストラン日本の和食が機内食として積み込まれていることが紹介された。

 最後に当日の明河正也機長が挨拶し、いよいよ搭乗開始。この日は、52人の乗客が搭乗口で職員から茶菴の金継ぎビスケットが入った記念ギフトを受け取った。正副パイロットがコックピットから手を振っているのが見える。小雨の中、機体がゲートを離れると、一瞬雨も止み、森岡清人米州地区支配人、藤井支店長、川上哲営業部長ら支店幹部・職員らが 「空の旅をお楽しみください。また会いましょう」と英語で書かれた横断幕を広げ8005便を地上から見送った。日本航空は、成田へ週3便、羽田へ週4便の1日1便週7便をJFKから運航中だ。

街中のPCR検査で帰国可能か?

書類作成にばらつき

安心確実なのは高額でも指定医療機関

 日本の水際対策も緩和の兆しにあるが、ワクチン接種が無料なのに対し、現在も日本入国の際には、出国前72時間以内の検査証明書(所定フォーマット推奨)を検疫所へ提出する必要があり、クリニックなどでの検査と陰性証明書発行には数百ドルがかかるため、日本を行き来する人には痛い出費となっている。ニューヨークを歩いていると目につくテントやバスのポップアップ(仮設)コロナ検査所は、いくつかの研究所によって運営されており、殆どが無料で検査を提供している。これが日本入国の際に使えれば費用的には助かるのだが。調べてみた。(写真:タイムズスクエアにある特設のコロナウイルス検査テント)

 仮設テント検査所のうちのひとつLABQ(ブルックリンの医療研究所)を調べてみたところ、厚生労働省・検疫所が指定している有効と認められる採取検体の唾液(SALIVA)で、検査方法も有効とされているRT-PCR法で検査を行っている。ただし、検査方法は有効と認められていない中鼻甲介ぬぐい(Mid-Turbinate for swab)も行っているため、テスト前にスタッフに唾液検体での検査をリクエストする必要がある。

 証明書についてだが、厚生労働省ウェブサイトには「所定フォーマットの使用することが困難な場合には、任意のフォーマットの提出も妨げられませんが、「検査証明書へ記載すべき内容」が満たされている必要がある」とある。「検査証明書へ記載すべき内容」とは、・名前、パスポート番号、国籍、生年月日、性別・検査法、採取検体(有効と認められる検体及び検査方法であること)・結果、検体採取日時、結果判明日、検査証明書交付年月日・医療機関名、住所、医師名、医療機関印影・以上すべてが英語で記載であること。詳しくは厚生労働省サイト(別表参照)で要確認。検査後24〜36時間後に研究所からメールで送られてくる検査結果のPDFをプリントして、国籍は表示されないため自身で(英語で)書く必要がある。(「パスポート番号、国籍、生年月日、性別」記載がない場合は、余白部分に本人が手書きでこの情報を記載することは可能と在ニューヨーク日本国総領事館ウェブサイトに記載あり(別表参照)。

 また、医療機関印影に関しては、「医療機関・医師名、印影については、必ずしも各国で取得できない事情があることから、検疫官の判断により、有効な証明とみなすことがあります」と、こちらも厚生労働省サイトに載っている。

 同研究所のポップアップ検査所は、10月28現在で全41か所(ブロンクス4か所、クイーンズ4か所、ブルックリン9か所、マンハッタン 24か所)土曜日以外の毎日、大体は午前10時から午後5時までオープンで、ポップアップ検査所の閉業時期は未定だが年内はオープンの予定。要ID(パスポート)持参、予約不要。厚生労働省の所定フォーマットをプリントして、ブルックリンにある研究所に持参すれば署名等の対応してくれるとのこと。140 58th St Building A Unit 3L, Brooklyn, NY 11220

 ただし、現状では、市街地の路上で行われている無料PCR検査所では、研究所に寄っては日本の書類を持って行っても受け付けてくれないところもあり、証明書を発行してくれるLABQでも、確実に書類をもらうためにはブルックリンのオフィスまで行かなくてはならない。日本からNYに来て、数日の滞在で帰国しなくてはならない場合、早急にPCR検査をする必要があり、その際に、無料で日本所定の検査をしてくれてなおかつプリントアウトした厚生省の書類にサインしてくれるところを自力で探し出して交渉するのは、日本から来たばかりの人が自力でやるには荷が重そうだ。しばらくは安全をお金で買うという気持ちで総領事館指定の日系医療機関などで書類を作ってもらうのが無難なようだ。(佐久間千明)


生労働省サイト

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00248.html

在ニューヨーク日本国総領事館ウェブサイトに記載あり)

詳しくはhttps://www.ny.us.emb-japan.go.jp/oshirase/border-control.html

LABQ(ブルックリンの医療研究所)

詳しくはhttps://labq.com/covid-mobile-testing/

手作り石鹸に挑戦

大人の教養講座

あめお氏がセミナーで解説

 ニューヨーク日系人会(JAA)で9月と10月に開催された第15回秋のヘルスフェア(共催・NY日系人会JAA、邦人・日系人高齢者問題協議会、邦人支援ネットワーク、後援・ニューヨーク日本総領事館)のプログラムで、日本で活躍する有名講師がYOU TUBE で講演を配信する「大人の教養講座シリーズ特別講座編」(企画・NY日系ライオンズクラブ、講師派遣・マイベストプロ、協力・マイイベントUSA)が公開された。

 今週は「石鹸は食と同じなり! お家のキッチンで無添加の手作り石鹸作りませんか?」(講師・手作り石鹸講師、あめお氏)の講演内容を紹介する。

【使用するもの】オリーブオイルやアボカドオイル、ヒマシオイルなど液体状のソフトオイル、パームオイル、パーム核オイル、固形のハードオイル、苛性ソーダ、薬局で購入できる精製水、エッセンシャルオイル。

【用意する装備】エプロン、ゴム手袋、マスク、メガネ、ボウルを2つ。ゴムベラ、スプーン、泡立て器、電子スケール(計量器)など。

 固形油、ハード油をまぜ、別のボウルに精製水を冷やす。ハードオイルを湯煎にかけて溶かし、ソフトオイル、苛性ソーダを計り、合体するやり方などを動画で紹介した。目安は55度くらいまで上昇する程度に。苛性ソーダは劇薬なので取り扱いに注意を。最終的には40度くらいに調整する。オイル39度、苛性ソーダ水41度。15分ほどかき混ぜ、エッセンシャルオイルで香をつける。型に流し込み、別の器で竹炭のペーストを作り、置いておいた生地に注ぐ。ラップをしてタオルに包んで1日寝かせて、型からはずしてカットして4週間寝かせると石鹸として使えるようになる。1か月の間に苛性ソーダのアルカリと油の脂肪酸が化学反応を起こして石鹸になる。脂肪酸の組み合わせで石鹸の使用感が変わる。石鹸は肌の上から摂取する食のようなものとレシピを組んで自分なりの料理を作る楽しみを紹介した。詳細は https://mbp-japan.com/tokyo/ciaosoap/

現代日本の戯曲を英語朗読劇

「こしらえる」

JS舞台公演部12月6日に開催

 ジャパン・ソサエティー(JS)舞台公演部が、12月6日 (金)午後7時30分から『こしらえる』(英題: Cooking Up )をJS館内(東47丁目333番地)で上演する。秋のシーズン《J-Cultureから見るニューヨーク・アート》の第4弾となる本作は、第62回岸田國士戯曲最終賞候補作品で、同賞に2年連続でノミネートされた松村翔子=写真=と注目のアーティスト、ジョーダナ・デ・ラ・クルーズによる演出。

 失踪した人気パティシエの穴を埋めようとてんてこ舞いするフレンチレストランが舞台の本作品は、シェフとパートのウェイトレスの情事をきっかけに次第に変化する物語。チケット料金は 一般15ドル/JS会員10ドル。問い合わせは電話212・715・1258(月〜金の午前9時〜午後5時)、詳細はウェブサイトwww.JapanSociety.org/performingarts

6人の監督作品JSで上映12月に

 ジャパン・ソサエティー(JS)映画部が、文化庁との共催、映像産業振興機構(VIPO)の協力のもと、12月3日(金)から12月23日(木)まで、ACA Cinema Projectシリーズ第2弾「フラッシュ・フォワード~デビュー作の風景~」をオンラインとJS劇場上映のハイブリッド形式で開催する。日本を代表する6人の監督、沖田修一、河瀨直美、阪本順治、塩田明彦、周防正行、西川美和のデビュー作と最新作を紹介する。劇場上映する映画は次の2本

▽12月11日(土) 午後7時『丹下左膳餘話 百萬両の壷』Tange Sazen and the Pot Worth a Million Ryo(4K修復・最長版)1935年/94分/ 監督・山中貞雄、主演・大河内傳次郎、喜代三、沢村国太郎(写真上。Tange Sazen)

 ▽12月17日(金)  午後7時『河内山宗俊』Priest of Darkness(4K修復版)  1936年/82分/ 監督・山中貞雄、主演・河原崎長十郎、中村翫右衛門、原節子価格は一般15ドル、JS会員10ドル。詳しくはfilm.japansociety.org

横尾忠則その創造と歩み

南雄介・藤井亜紀・監修
国書刊行会・刊

 横尾さんと初めて会ったのは、記憶が正しければ1981年くらいロサンゼルスの郡立美術館でリサ・ライオンをテーマにした個展をされた時だから、かれこれ40年近く前になる。その前年1980年夏に横尾さんはニューヨーク近代美術館(MoMA)でピカソの大回顧展を見たことをきっかけに活動領域をグラフィック・デザインから絵画へと移行した。それまで自分の中にあった横尾忠則というイメージと全く別の世界に戸惑いも覚えた記憶がある。横尾さんの「画家宣言」は、そのような横尾さんの心境の変化や画風の転向を伝えた当時の新聞か雑誌の記事の見出しから生まれた言葉で、横尾さん自身が「宣言」した訳ではない。

 すでに横尾さんは、昔の輸出用のマッチのラベルなどに由来する土俗的なモティーフや鮮やかでポップな色彩など、さまざまな出自を持つ要素を強引に引き寄せ、モダンデザインに対して反旗を翻した1960年代のグラフィック作品によって1967年にはMoMAに作品が収蔵されるなど、早くから国際的に高く評価された。それはデザインにおけるポストモダンの先駆として、既存のデザインや商業主義に対するアンチテーゼとして批評性を内在させていた。今なお、MoMAには常設展示のローテーションの中で偶然に当時のポスターを見かけることがある。「僕はここの永久会員だから、ただで入れるんだよね」とちょっと自慢げに言っていた表情が忘れられない。今なお、海外での横尾忠則の名声と影響力はこの60年代から70年代のグラフィック時代に築き上げたわずか10年に満たない黄金の60年代に生み出されたもので、その輝きは今もなお眩しいほどだ。 

 画家に転向してからの作品は「Y字路」や滝のインスタレーション、多元宇宙論と進化する。NYの有名なY字路である五番街23丁目にあるキャスト・アイアンビルや、タイムズスクエアなんかも当地を代表するY字路なのでいつか描いて欲しい。あと、もし今度NYに来ることがあったら、ジョルジョ・デ・キリコ(イタリアの画家・1888年 – 1978年)の原風景を体験していただきたい。横尾さんはいつだったかの日本経済新聞の文化面に、「キリコの緑色の空」に強い衝撃を受けたと書いていた。自転車の輪っかのリムを棒で押してコロコロと走っていく少女がでてきそうな光景が、ロングアイランドシティーの7番線地下鉄高架鉄道のガードにある。キリコが見たらきっとひっくり返って喜ぶに違いない。あれこれ書いたが、この本は、横尾忠則の80年におよぶ創造の軌跡を一冊に凝縮したもので、今年7月17日から10月17日まで愛知県美術館、東京都現代美術館、大分県立美術館の日本国内3会場で開催された「GENKYO 原郷から幻境へ、そして現況は?」の公式カタログになる。価格は2200円。   (三浦)

心の糸を美術品のように紡いで

元メトロポリタン美術館修復師

佐藤みどりさん

 妻であり母であり、そして職業人でもある佐藤みどりさんは、ずっと一流の中に身を置いてこられた方だ。アカデミックな家庭環境に育ったみどりさんは、やはりアートの世界に縁が深かったのか、ファブリックを専門とする修復師としてメトロポリタン美術館に長く勤めておられた。手にしたことがあるのは日本の小袖や裂(きれ)、中国古来の絹、イスラムのカーペットやヨーロッパ中世時代のタペストリーなど、誰もが感嘆する歴史的にも芸術的にも唯一無二の品ばかりである。

 「美術館では作品を安全に展示する事が最も重要な仕事です。修復も安全な展示をまず考えて決断をします」

 ファブリックの修復の仕事は大きく分けて基本的に三つある。修復、保存・管理、展示・公開。そして実際に修復で手を入れる前段階にも、時間をかけてあらゆる方面からの科学調査がなされる。顕微鏡で原料繊維の切断面検査、素材の細胞まで確認する。同時に作品年代・社会背景・歴史なども調べる。これらは表面には出ない、緻密な、しかも時間と努力のいる仕事だ。「クロイスターにある有名なタペストリー「Borgos」は35年かかりました。信じられないでしょう?」美術館に勤務し始めたみどりさんは、自らニューヨーク大学に通い美術品修復について学んだ。

 さらに修復師のみどりさんに任された仕事がある。外国の美術館に作品を運び貸出し、展示する任務だ。木枠を組んで安全に美術品を運ぶ用意から、分厚いコンディション・チェックのファイル、保険に関する書類等々かばん一杯に抱え、真冬でも風の吹き晒すカーゴの荷造り場に立ち詰めで積み荷を見守ったり、機内で安全でない場所に積まれたりしないように、何時間も監視する大変さは「ちょっと言葉にはできない、相当に重圧を感じ消耗もする孤独な独り旅」とみどりさんは言う。それでもサーカスのライオンの吠える声を聞きながらハンモックで眠ったり、フランスの粗末なカーゴの中で正式なテーブルセッティングで上質な食事が用意されたことはいい思い出として残る。

 近頃は、ジャパン・ソサエティの展覧会『BOROテキスタイル・継続性の美学』への協力、詩歌集『わんざぐれ〜折句・短歌・俳句・詩』を上梓されたばかりである。「折句」という藤原定家も遊んだ和歌の技法をさらりと披露され、若い頃の激しい感情や、長く押し止められた内面のほとばしりが結晶となり輝く。夫や子どもや孫たちへの愛情、痛いほどに非力である人間の悲哀、心情が詩歌に込められている。

 全てが芯のある女性の姿として憧憬を抱かずにはおれない。(フェイダーちえ)

知って得する!日本での相続の話 3

日本での賢い終活を

 今回は、将来日本での終活を考えている方に向けてのお話です。
 日本在住者が死亡した場合、全世界にある財産に日本の相続税がかかります。どこの国に置いても日本の高い相続税の対象になるなら、帰国後も高金利の米国に金融資産を残置したり、値上りが期待できる不動産を賃貸にして帰国される方もいます。 この場合、米国側のプロベート制度(裁判所管理下での手続)にご注意。財産所有者の居住地に関わらず、死亡時に米国にある財産はプロベートに入ります。その場合、多額の弁護士費用と一年以上の手続期間が発生します。一方日本での相続税申告期限は10か月ですから、無対策だと期限内に申告が間に合わず、無申告加算税などペナルティが生じます。今すぐ、リビングトラストなどプロベート対策を忘れずに。 また、日本では、国外財産を国に報告する義務があります。5千万円超の国外財産を有する日本在住者は、財産の種類、金額等を記載した「国外財産調書」を税務署へ提出しなくてはなりません。米国に財産を残して帰国する場合は日本側に財産を報告する義務があります。 11月17日(木)午後6時までオンラインセミナー『知って得する!! 日本の相続&贈与の話』開催中。 詳しくは紙面8ページの広告を参照。

大谷 亜紀/TOMA税理士法人 資産税部部長資産税専門税理士。国際相続も含め数多くの相続対策を支援。相談は soudan-s@toma.co.jp まで

編集後記

編集後記】
 みなさん、こんにちは。今回の日本の衆議院選挙で海外有権者が投票できない、投票が無効となったとみられる事例が相次ぎ報告されています。世界226の在外公館に投票所が設置されましたが、コロナ禍を理由に世界14か国の在外公館が投票を受け付けませんでした。現行制度で有権者が海外にいたまま投票できるのは公館投票と郵便投票飲み。「地方在住者は投票所まで遠くて交通費がかかる」「郵便投票は、手続きが煩雑で多大の努力と時間を要する」などの苦情はかねてからあったのですが、今回の衆院在外選挙で「不便にも我慢が限界」と海外の有権者が国政選挙へのインターネット投票の早期実現に向け署名活動に乗り出した。在外ネット投票を求める署名活動は、有志メンバーの子田稚子さん(米国在住)、田上明日香さん(イタリア在住)、ショイマン由美子さん(ドイツ在住)が発起人で、署名作成にあたり、海外有権者ネットワークNYの竹永浩之共同代表が助言・監修しました。集まった署名は近く総務大臣、外務大臣、デジタル大臣に要望書を添えて提出するそうです。インターネットを通じ海外有権者に呼びかけた署名運動に対し、目標1万人に対して11月9日現在で6098人が署名しています。(署名サイトのリンクへのアクセスはインターネットで「在外ネット投票署名活動」を検索)。今週号1面と8面に記事。
 署名では次のように要望しています。
 (1)2022年夏の参院選において、在外邦人を対象にネット投票の実証実験を行ってほしい。そこで得られた不備や欠陥等に基づいてシステムを改善し、本格導入を準備して欲しい。(2)2025年の参院選には在外ネット投票の確実な全体運用をお願いしたい。自分の大切な一票が無効になる。これは日本にいても海外にいても、絶対にあってはならないことだ。世界中のどこにいても選挙権が一人ひとり行使できるよう、誰でも簡単に確実に投票できるよう、在外ネット投票の早期先行導入をお願いしたい。
 現在、在外有権者約100万人のうち、在外選挙人登録されているのは約10万人のみ。今回の選挙で世界全体で1万9000人が在外投票しましたが、前回17年の衆院選より2000人ほど減り、在外有権者の投票率は約1~2%と極めて低い水準にあります。ネット投票が実現すれば、投票数が増えることが期待できます。投票の際の本人確認にマイナンバーを活用する案が出ています。現在、在外邦人はマイナンバーカードを持てないため「マイナンバーカードを紐づける在外ネット投票は実現不可能」といった懸念もありますが、2019年に公布された「デジタル手続法」で2024年までに在外邦人にもマイナンバーカードが付与されることが決定しているのでおいおいなんとかなりそうですが、あと3年も今の在外選挙が続くと考えると気が滅入ります。ただ、これだけは海外の日本人が声をあげていかないと変化は見込めません。私はここで皆さん、こうしましょう、ああしましょうとは言いませんが、海外の有権者の一人ひとりの問題として考える時期に来ているかもです。それでは、みなさん、よい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)