猛煙一気に建物充満

子ども8人含む17人死亡

ブロンクス・アパート火災

 ブロンクス区181丁目で9日午前11時ごろ、19階建てアパートで火事があり、子ども8人を含む17人が死亡した。当局によると63人が負傷し、32人が病院に搬送された。そのうち15人は重体だという。電気ヒーターの故障が出火の原因とみられる。火事はアパート2階から発生したが、防火扉が作動せずに、煙が一気に上の階に広がったと見ている。建物にはスプリンクラーの設置が行き渡っていなかった。消防局長は「かつてないほどの煙が発生していた」と述べた。現場は市警46分署のすぐ近くで、通報後、消防士約200人が出動した。隊員たちは梯子車で各階に入り、階段の吹き抜けで煙にまかれて倒れている犠牲者を発見。心肺停止状態の人々を外へ運び出した。

 火事の翌日昼、現場前でエリック・アダムズNY市長と市消防局のダニエル・ニグロ消防局長らが記者会見した。建物は1972年に建設され低価格住宅プロジェクトで市が管理しているため、市長は、「住居を失った人は新しい住居や埋葬の費用など、必要なものは何でも用意する」と支援を約束。火事が起きたブロンクス地区はイスラム系移民の多い地域で、火事の影響を受けた住民の多くは、もともとガンビアからアメリカへ移住してきたと考えられている。会見ではガンビア駐米大使も立ち合いスピーチした。キャシー・ホークル・ニューヨーク州知事は「悲劇の一夜」だとし、生存者の支援のために被害者補償基金を設置すると約束した。アダムス市長は、移民であるかどうかに関わらず、火事の影響を受けた人は当局に援助を求めるよう促した。また、住民の情報が移民局に渡ることはないと断言した。義援金の受け付けも開始した。

(写真)火事の翌日、建物前で記者会見するアダムズ市長(写真・三浦良一)

クオモ元知事のセクハラ容疑、検察が訴追断念

 オルバニー郡地区検察のデイビッド・ソアレス検事長は4日、アンドリュー・クオモ元州知事(64)=写真=による元部下の女性に対する強制わいせつ容疑についての訴追を断念したことを明らかにした。ソアレス検事長は、元部下のブリタニー・コミッソさんの訴えは信頼できるものの、犯罪を立証するのは困難と判断、裁判所に対し刑事訴追を断念するよう申し立てしたことを明らかにした。

 これを受け、オルバニー裁判所のホリー・トレクスラー裁判長は、出廷したクオモ氏に訴追を取り下げると伝えた。セクハラ疑惑で州知事辞任にまで追い込まれたクオモ氏のもっとも深刻な法的問題の一つが終わった。クオモ氏の弁護士であるリタ・グレイビン氏は声明で「政治やレトリック、群集心理ではなく、理性と法の支配が勝った」と述べた。

 オールバニの知事公舎でコミッソさんの服の中に手を入れ、胸を触るなどした疑いが持たれていた。クオモ氏は不適切な形で触れたことはないと強く否定していた。クオモ氏は昨年8月、女性11人に対するセクハラ疑惑を州司法長官から指摘され、知事を辞任した。 コミッソさん以外の案件でも、最近2つの郡検察当局が捜査を打ち切ったため、セクハラ疑惑でクオモ氏の刑事責任を問われる可能性は低くなっている。

ウィリアムスバーグの虜に

 ブルックリンで最もファッショナブルな街、ウィリアムスバーグ。ベッドフォードアベニュー交差点で信号待ちの傍ら、携帯電話で位置情報を確認している女性にファッションインタビュー。トレンドに沿った、ゆったり目のジーンズと丈の短いキャミソールの上にブレザーというコーディネート。お気に入りのブランドは?と質問すると「得にないわ。ジャケットはZARAだったかな」との返答。ブランドへの思い入れはない。古着屋巡りも好きだが、最近ではネット購入がメインという。「オンラインショッピングでも困らないわ。モデルが大体私と同じような体型だから、身に着けた感じが想像しやすいの」そんな彼女は身長170センチ以上で、すらりとした8頭身。ウクライナ出身で、ワシントンDCからつい最近NYに引っ越ししてきたばかり。まだ引っ越し荷物は整理中で、クローゼットから洗濯済みの服を引っ張り出したという割には、カジュアルで見事な着こなし。モデル体型を維持するための秘訣は、毎日欠かさないジョギング。昨年はシカゴマラソンも完走したという。本日は、ピザを食べながらウィリアムスバーグ散策を満喫中。なりたてニューヨーカーで、目にするもの全てがまだ新鮮だ。「ブルックリンブリッジ周辺の川沿いが素敵だけど、街としては、今のところここが一番のお気に入りよ」。世界中から人が集まるNYの中でも、特に美意識の高い人たちを吸い寄せるウィリアムスバーグには不思議な魅力がある。

(Wear2Nextチーム/アパレル業界関係者によるファッション研究チーム)

日本クラブWEBギャラリー企画 「富士山と羽衣伝説」展

 日本クラブWEBギャラリー企画展「富士山と羽衣伝説」が1月20日(木)から3月2日(水)まで、オンラインで開催される。(協賛・NY日本商工会議所基金)。室町時代、三保の松原(静岡県静岡市)に伝わっていた羽衣伝説と駿河舞を結びつけて編まれた能「羽衣」。同展では富士山の絵画や写真、平等院鳳凰堂雲中供養菩薩像の画像約36点を公開する。20日(木)午後7時から森田ゆい氏(東京立正短期大学准教授)が羽衣伝説を紹介。人間国宝の大倉源次郎氏が能の代表的な演目「羽衣」を紹介。詳細はウェブサイトhttps://nippongallery.nipponclub.org/を参照。

(写真左)歌川広重「冨士三十六景駿河薩夕海上」版画木版多色摺 1859 ©フジヤマミュージアム

今年こそ日本パレード実現へ

NYで5月実施を計画

セントラルパークウエスト飾る日本文化

 「ジャパンデー@セントラルパーク」は2022年5月、ニューヨーク初の「ジャパンパレード」を計画している。22年は、1872年に岩倉具視を特命全権大使とする使節団が米国を訪問してから150周年と日米関係において重要な節目の年にあたる。使節団訪問を契機に、同年ニューヨークに日本領事館が設置されるなど、日米関係の深化に繋がった。

 ニューヨークでは、世界各国出身のエスニックグループがそれぞれのコミュニティの文化やライフスタイルを誇示するパレードが行われてきた。「ジャパンパレード」は、ニューヨークでは初めての「ジャパン」と名の付く記念すべきパレードとなる。

 ルートは、セントラルパークウエストの81丁目から68丁目を南下、参加団体は80〜100を予定しており、盆踊り、よさこいなどの伝統舞踊、空手、なぎなた、柔道など武道のグループ、お神輿や鯉のぼり、太鼓、着物のグループ、侍パフォーマーから人気キャラクター、コスプレなど、伝統に加えてモダンな日本の魅力をニューヨーカーにアピールする。

 同パレードの実現に向けて、主催のJapan Day Inc.(実行委員会名誉委員長・山野内勘二在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使、委員長・上田淳三井住友信託銀行米州地区支配人・ニューヨーク支店長)は、協賛、寄付、またアマゾン・ドットコムでの買い物額の一部が自動的に寄付される「アマゾンスマイル」を通じた支援を募っている。Japan Day Inc.はニューヨーク州認定の非営利団体で、直接寄付すると税額控除を受けることが可能。


神奈川県の寒川神社がブルックリン植物園に寄贈したお神輿も

 当初、20年に14回目のジャパンデー開催に加えて、1860年の万延元年遣米使節団による米国訪問160年を記念したパレードを計画していた。しかし新型コロナウイルスの感染拡大を受け、残念ながら中止に。21年も野外イベントはできなかったが、日米市民のフレンドシップへの感謝を込め、「ジャパンデー・ 2021・サンキュープロジェクト」と題したオンライン配信などを行った。

 21年夏以降、ニューヨークでも野外イベントやパレードが復活し、多くの観衆が声援を送る様子が伝えられている。それらの状況をふまえ、日本文化の魅力を新しい形で発信し、さらなる交流を図ることを目的に、ジャパンパレード・2022の準備を開始している。新型コロナウイルス関連その他の状況に関しては慎重にモニタリングを継続中で、市当局とも連携の上、パレード開催について現在最終調整を行っており、22年1月中に正式決定が下される予定だ。

 それに先駆けて、日本の魅力を発信するパレード参加団体を募集している。興味のある団体は、ウェブサイトの所定のページから申し込む。1月の決定後は、ジャパンデー恒例アート作品のコンテストの募集が開始される。

 参加団体例は、日本の文化、伝統、芸術、スポーツ等の団体、マーチングバンド、チアリーダー、学校、県人会、同窓会、趣味のグループ、日米友好団体など。

162年ぶりの日本行進

YOSAKOI Soran Festival. Powerful dance performances parade in Odori Park, Sapporo City. Many teams showcase the original dance. A very popular festival for tourists.

 1860年6月16日、当時の日本政府の公式代表である76人の侍がニューヨークに到着し、盛大なパレードを行った。ニューヨーク・タイムズ紙によると、ローワー・マンハッタンの行列には50万人の人々が集まり、当時のウッド市長が一行を歓迎したという記録が残っている。侍の到着はメディアを熱狂させ、詩人のウォルト・ホイットマンは、同紙にこの盛大な到着を記念した詩を寄稿した。この日以来、ビジネス、芸術、スポーツなど、さまざまな分野で活躍する多くの日本人がニューヨークに滞在し、学び、働き、両国の関係を深めている。

 1872年の使節団『岩倉ミッション』が欧米諸国で得た知見は、その後の日本の発展に大きく貢献した。

 その150周年を祝うこの節目の年に、改めて日米関係の軌跡を振り返り、ニューヨークに感謝の意を表しつつ、未来世代へ友好のバトンを繋いで行くことがジャパンパレードの目的である。


・協賛、寄付に関する情報、参加お申し込み:

japandaynyc.org

・アマゾンスマイルからの支援:

smile.amazon.com/ch/20-5864522


編集後記 1月1日号

皆様、お待たせしました。年内ギリギリのところで週刊NY生活の新春特別号ができました。一足早くデジタル版ウェブ版でお届けします。紙の印刷紙面は、明日午前中に工場で印刷、そして午後にはマンハッタン、市内で配達になります。今年の新年号は、コロナ禍で迎える2年目の年でもあり、人を助ける、という観点から歴史上の人道主義と現代との接点、日系高齢者支援について2つのテーマで掘り下げてみました。児童生徒の作文や全米応募の俳句、習字、硬筆などの本紙主催のコンクールの年間大賞の発表もあります。お料理、ファッション、お酒、ニュース、盛りだくさんの内容です。お正月休みにごゆっくりお楽しみください。新年は1月15日号からまたレギュラーで配達させていただきます。それでは皆様良いお年をお迎えください。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】(2022年1月1日号)

(1)命のビザと友情 マーシャのありがとう

(2)命のビザ日米会議

(3)NY日系人会の高齢者支援

(4)JASSIの高齢者支援

(5)年末年始はお酒で楽しく

(6)伝道師タミーを演じ切る 成田陽子のTHE SCREEN 

(7)ダブルダッチ国際大会 日本チーム大活躍

(8)生き生きEATS

(9)恐竜のお守り ニューヨークの魔法

(10)大江千里 パワー放出の年に


命のビザと友情 マーシャのありがとう

杉原ビザで生き延びた母
NYの3姉妹が感謝のCD


神戸市内の公園で撮影されたマーシャさん(中央)と母ゼルダさん(前列左から2人目)の写真。当時は戦時下で海外からの難民がカメラを所持することはできなかった。日本滞在半年中唯一の写真

 第二次世界大戦中にヨーロッパから逃げるために陸路シベリア鉄道を使って日本経由でアメリカに渡った多くのユダヤ人たちがいた。手にしていたのは、戦時下に海外渡航するための唯一の手段である第3国を通過する「命のビザ」だった。

 その2000余りの手書きのビザを書いた外交官、杉原千畝と日本に感謝する家族がニューヨークにいる。当時10歳だった少女、マーシャ・ベルンスタイン(後に結婚して姓はレオン)さん。5年前に86歳で他界したが、3人の娘たちは、母親から日本人に親切にされた時の思い出を聞いて育った。

 黒澤明の映画を見に連れて行ってくれたり、歌舞伎や浄瑠璃公演も一緒に行った。3人はそれぞれ、作曲家、ピアニスト、写真家として立派に社会で生きている。そんな3人が協力して日本に感謝する1枚のCDを作った。創作曲と「さくら」が収録されている。タイトルは「マーシャのありがとう」だ。

娘たちが感謝のCD日本へ

 会議の後半では、杉原によって命を救われたマーシャ・レオンさん(故人)の娘でニューヨーク市在住のピアニスト、ローラ・レオンさんがメッセージを読み上げ、創作曲「マーシャのありがとう」を演奏した。

 レオンさんは杉原がビザを発給して80年余りの歳月が経とうとしているが、杉原によって命を救われ、ニューヨークに辿り着いたユダヤ難民の子孫たちは今も、日本に感謝しながら生きていると感謝のメッセージを読み上げた。

 本紙は、2017年86歳でこの世を去ったこのサバイバー、マーシャ・レオンさんの3人の娘のうち、ニューヨーク市内に住む長女のローラさん(67)と次女のカレンさん(64)に12月4日午後、ZOOMでインタビューすることができた。

CDの詳細は

https://lauraleonpiano.com/cds/cds/c/241

musicaltapestriesinc.com 

命のビザ日米でオンライン会議

日本での活動を報告

杉原千畝

 第二次世界大戦中、日本領事館領事代理として赴任していたリトアニアのカウナスで、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人たちにビザを発給し、約6000人のユダヤ人難民を救ったとされる杉原千畝(すぎはら・ちうね、1900〜1986)。彼が残した人道主義の軌跡と現在を語る「日米を結ぶ『命のビザ』オンライン会議」が11月12日開催された。主催したのは国際ビジネスマンクラブ(International Businessman Club、略称IBC)で、杉原を当時支えた日本人に関する著作『命のビザ、遥かなる旅路』(交通新聞社刊)と杉原以外の外交官のユダヤ人救出に焦点を当てた『続命のビザ、遥かなる旅路』(パレード刊)を執筆したフリーライターの北出明さんが呼びかけた。

 会議の冒頭、ニューヨーク総領事の山野内勘二大使がメッセージを寄せ、ロンドン在住の梶岡潤一監督によるドキュメンタリー映画「杉浦千畝を繋いだ命のビザの物語」が上映された。このあと日本国内にある杉浦千畝ゆかりの地とも言える4施設の代表がそれぞれの活動や歴史を紹介した。

 杉原の出身地である岐阜県八百津町の金子政則町長が2000年に開館した「杉浦千畝記念館」について現在までの活動を紹介、中でも「決断の部屋」という執務室を再現した部屋では来館者が机で自らの決断をできるという趣向も紹介した(7面に記事)。

 続いてポーランド孤児・ユダヤ難民が上陸した唯一の港・敦賀港について渕上隆信市長が解説し、明治時代から昭和初期にシベリア鉄道を経由して日本とヨーロッパを結ぶ国際港として発展した同港が、第二次世界大戦中には多くのユダヤ難民の受け入れ港となったことや当時の港街の建物を復元した人道の港 敦賀ムゼウムの様子などを披露した(9面に記事)。

 続いて愛知県教育委員会の稲垣宏恭教育管理監が、杉原の母校の伝統を受け継ぐ愛知県立瑞陵高等学校の顕彰施設をビデオで解説した。ここには、「杉原千畝氏とユダヤ人家族のブロンズ像」、「カウナスとプラハのビザリスト」といったメインモニュメントに加え、杉原氏からビザを受けたユダヤ人のその後の人生、彼らを支援した人々、第五中学校時代を始め、杉原氏の生涯などを紹介する29枚のパネルを展示している(9面に記事)。最後に沼津市の長興寺住職、松下宗柏さんが杉原の妻、幸子夫人の誕生地が沼津であったことを紹介し、「新型コロナ収束後には、杉原サバイバーの子孫をはじめ海外からの観光客が立ち寄るスポットとなるよう努力したい」と述べた。顕彰碑設置場所については頼重秀一沼津市長が協力し、港口公園を選定したという。

天草丸で乗員を世話したJTBの大迫さん(北出さん提供)

NY日系人会の高齢者支援

助け合って百年
楽しい食事が大切

敬老会は毎回盛況

 「JAAは『助け合って100年』をモットーに地道に高齢者支援を昔からしておりました」というのはNY日系人会(JAA)事務局の野田美知代事務局長。JAAの高齢者支援はまず「異国に住む日本人シニアにとっては、日本文化・日本語と日本食が大切だと思います。その機会を提供していきたいと思っています。敬老会は、毎月1回か2回のシニアへの昼食会を実施、現在コロナのため会場70人、デリバリー&ピックアップ40人で110個のお弁当を用意している。会員優先でJAAのシニア会員は一年間60ドル、一回の参加費は5ドルとなっている。ここでは季節のメニューの日本食を提供(コロナ前はボランティアが料理を提供)、その時々のトピックでのお話=健康法、コロナワクチン情報や副作用、ヘイトクライムからの防御など、そして余興に音楽(イワキバンド、三上クニのジャズピアノ)や、落語、民謡、日本舞踊、朗読会などを毎回開催している。

一人じゃ生きていけない

 シニア同士の情報交換のおしゃべり時間とネットワークの構築も大切にしている。「いつも、最低、友達5人は持ちましょうと話している。一人じゃ生きていけない」。お互いに助け合うことが出てくる。病気になったら、ミルクも買いに行けない。その場合にはJAAにも連絡が入り、お互いに助け合うネットワークができる。

 定期的無料法律相談室も人気だ。事前指示の書類と委任状 (医療委任状=医療代理人を指名する)、リビングウイル(生命維持措置等に関わる意思表明)、委任状(財政代理人を指名する)と遺言の相談室のほか移民法相談室、一般的な相談室、税金に関する相談室などを実施している。

 毎日の電話相談=情報提供と日々のアドバイス、死亡時の手続き、葬儀情報の提供、一人住まいの方の緊急時の親類探し、(突然亡くなった場合も)日本への連絡など。

 さらにホームヘルパー/エイドのネットワークと情報提供(今後増えると予想される)、日本語を話し、日本文化を理解している介護人を求める人が多いが、探すのが大変難しい。ヘルパーさんと患者及び家族を繋ぐ役割をしている。

 ボランティアの「お元気ですか訪問(Visiting )」と電話や無料ヘアカット、メディケアオフィス、ソーシャルセキュリティーオフィスやドクターオフィスへの通訳や付き添い及び、グリーンカードの書き換えや日本の年金書類の記入手伝いや英語の手紙の通訳から日本人コミュニティの連携・NY日本総領事館、JASSI、日米合同教会、NY仏教会との連携で日本人、日系人の救援に当たっている。また定期的に文化クラスを開設して太極拳、書道、茶道、折り紙クラスなども開催している。

JAA邦人・日系人高齢者問題協議会が意識調査実施

 2005年5月、JAA高齢者問題協議会はニューヨーク、ニュージャージー、コネティカット、フィラデルフィア在住の邦人、日系人がより良い高齢者生活を過ごせるために、ニーズにあったサービスとは何かを協議していく機関であるとして発足。そのために、人口の高齢化動向とニーズの実態調査(研究)、高齢者問題への意識の向上(教育、広報)、高齢者問題の支援団体や情報源、資金の確保(協力)を行い、邦人・日系人の相互扶助と福祉厚生の充実を目的にしている。

 2006年「在米邦人・日系人の高齢者問題に対する意識調査」と2019年の「在ニューヨークの日本人・日系人の高齢化に関する意識調査〜訪問介護の在り方を探る」を実施。 2007年秋、シニアウイークを開催、2006年度の意識調査から、高齢者問題への意識の向上と支援団体や情報の提供の必要性を痛感して、シニアウイークを2週間開催した。今年で第15回秋のヘルスフェアとなり、一か月間に、日米の高齢者福祉の講演会や相談室を設けている。

 具体的には認知症ワークショップや認知症支援グループキャラバンメイトの講習会などを開催からコミュニティーカフェや訪問介護の専門家を中心にしての座談会を定期的に行っている。今年の春・秋のヘルスフェアでは、コロナから高齢者問題、子供からシニアが参加できる講演会、ワークショップを開催し、3000人以上が参加した。

 2019年度の調査の詳細が発表される予定で、今後、ニューヨークにおける訪問介護の在り方を確立して行く必要があるという。そして、「老後をどこで過ごすか?」、正確な日米の情報提供が必要だともいう。そして、早めの準備が大切だと力説する。

NYでは80歳以上がシニア

 「ニューヨークでシニアと呼べるのは80歳以上」。ニューヨークには高齢の日本人が集まることができる場所がない。なので情報が入らず孤立する危険がある。私はこう皆さんに言ってるんです「50歳くらいから自分の老後を考え始め、70歳までに米国に残るか日本へ帰国するかを決め、80歳になる前にそれを実行するようにと。コロナ禍でなくても時間をかけた老後の設計が必要な問題が、コロナで自由に日米間を行き来することができなくなっている現在、日本側の受け入れ態勢が厳しい状況の中、帰国したくても帰国できないケースが今後もしばらく続きそうだ。

(次ページ:大切な日本語と日本食)

大切な日本語と日本食

(前ページ:NY日系人会の高齢者支援から続く)

JAA高齢者問題協議会

大切な日本語と日本食

野田美知代JAA事務局長

 ニューヨーク日系人会で長年ボランティアで高齢者介護をしているAさんはこう言う。「結局最後は、今日は何を食べたい?と言うのが人間の最後の欲求」なのだと。特に認知症などが進むとアメリカにきてから覚えた英語はどんどんと頭から消えていき、日本語だけが残っていく。食べ物も小さい時に食べた物や日本食が恋しくなるようで、現役時代に高級な日本食を作っていたシェフも年を取れば、家庭の味がする手作りのポテトサラダやコロッケや秋刀魚の塩焼きが食べたくなるそうだ。

 ニューヨークは、西海岸のロサンゼルスやサンフランシスコ、シアトルなどと異なり、日系移民の歴史が浅いこともあり、また中国、韓国、インドなど他のアジア系コミュニティーと比べても「NY日系コミュニティー」の裾野は狭く浅い。

 野田さんは「本来であれば、韓国系や中国系にはある日米年金相談室や、グリーンカードの更新手続きなどを専門に扱うコミュニティーの事務所があってもいいのだけど、常任スタッフをおいて対処するほどの需要がない」と言う。高齢者ホームも、日系社会で建物を確保して日本的なサービスを提供できるような受給体制、市場バランスが取れていない。採算が合わないのだ。NY日系人会では、市内のいつくかの高齢者ホームの視察会も実施している。中でもマンハッタンのイザベラ高齢者ホームは日系人が多いことで知られる。日本食はないが、キッチンがあるので食べたければ自炊することができる。

自分より年下が皆シニア

 JAAの高齢者支援プログラムは、さまざまな年間企画のうちの一つに過ぎない。全体のバジェットの中に占める高齢者プログラムはそれほど大きくないが、三井USAファンデーションなど日系企業の高齢者福祉基金や米国日本人医師会、チャリティー年次晩餐会などからの寄付で賄っている状態だ。ニューヨーク日系人会の高齢者福祉への取り組みは、元気なうちから、若いうちから考え、備え、仲間を作り、健康で楽しいニューヨークでの生活を維持することに主眼が置かれているようだ。「ニューヨークの日本人シニアの人たちは皆若くて元気。自分が高齢者であると言う意識が薄いが、気がついてみれば、自分より年下がみんなシニア世代ということにびっくりというのが実感です」と野田さんはいう。

老後の不安要因トップは医療費

 ニューヨーク日系人会の邦人・日系人高齢者問題協議会は「在ニューヨークの日本人・日系人の高齢化に関する意識調査〜訪問介護の在り方を探る〜」と第する報告書を2019年3月31日にまとめ、 桃山学院大学 金本伊津子研究室が発行している。監修は遠山(金本)伊津子・中島民恵子。

 それによると「老後の生活を迎えるにあたり、どのような不安がありますか」という設問に対しグラフのような答えが示された。

 高齢になって「病気・身体障害」(52・1%)を抱える可能性が高くなることから、「高額な医療費」(53%)が老後の生活の第1の不安要因として挙げられている。「配偶者のパートナーが要介護状態になること(32・3%)、「認知症」(31・5%)の罹患など、将来の医療費や介護費に対する大きな不安が読み取れる。生活を支える「収入・経済的状態」(39・8%)に対する不安も大きい。

 老後の生活の文化的な問題を挙げる者も少なくない。例えば「言葉(コミュニケーション)」(23・6%)、「食事」(20・2%)が、具体的な不安として挙げられている。「日本にいる両親(家族)の介護」(17・5%)をニューヨークに居住する家族が担うという状況が発生すれば、大きな負担となるのは必至である。

日系社会の駆け込み寺、JASSIの高齢者支援

 ニューヨークの日系社会で生活が行き詰まったり、経済的な困窮者となって日本に帰国することもアメリカで安定した老後を送ることも難しい高齢者たちがいる。日系社会の表には出てくることのない群像だ。その数は、約400人とも600人ともいわれる。多くが永住者で、チップや現金収入で生計をたててきた料理人やミュージシャン、アーティストなどの自由業者が多い。

 永住者でも現地採用の会社員として日米の企業に勤め、ソーシャルセキュリティー(米国社会保障年金)や401(K)を会社からの自動天引きで長年積み立ててきた人たちは年金があるため無収入の憂き目には遭っていない。キャッシュビジネスの場合は社会保障年金の十分な積み立てが確保できていないケースが多い。解雇に伴う一時的な失業保険はあるが、それで一生は食べてはいけない。

 日米ソーシャルサービス(JASSI)は、ニューヨークで言語や文化の違いから支援を必要としている人々へ無料で福祉サービスを提供している非営利団体で、生活に困り果てた最後のセーフティーネット、「駆け込み寺」として活動し、今年で40周年を迎える。

 JASSIの最も重要な「ホットライン・プログラム」(電話212・442・1541)では、生活面で問題を抱え困っている人を支援している。昨年度は、多くの人々からNY州医療保険への加入などを含めたヘルスケア、コロナウイルス、公的支援、メンタルヘルスに関する問い合わせを受けた。2020年7月1日から2021年6月30日までのコンタクト数は過去最高で延べ6925件で、平均で一週間に133件。クライアント数は1270人で、そのうちシニアのクライアントは432人。各クライアントが直面している問題が複雑で多岐に及ぶため、コンタクト数が多くなっている。

 JASSI理事長の望月良子さんによると「シニア・プログラム」(60歳以上対象)では、独り暮らしの高齢者を対象とした定期的な「見守り電話」に加え、コロナ禍のため週に1度のオンライン茶話会を開催し、電話やオンラインにてご自宅から安心して参加してもらえる形式に変え、好評をえているそうだ。また「ケアギバー・サポート・プログラム」では60歳以上の高齢者の介護者への支援を継続して行なっている。「コミュニティー・アウトリーチ・プログラム」では、公衆教育を目的とし、必要な情報を収集、更新してEニュースレター、フェイスブック、ツイッターにて発行。

 ジャシースタッフは、現地の教育や訓練を受けており、守秘義務遵守のもと、地域の福祉団体と連携してサービスを提供している。望月さんは「これらのプログラムを継続できましたのも、皆様からのご賛同とご支援を賜りましたおかげです」と感謝の言葉を口にする。実際に手を差し伸べたケースを次のページで紹介する。

(老後生活困窮の現実に続く)