国連国際学校(UNIS)で長年、日本語教師として教壇に立ち、米国北東部における中等日本語教育の先駆者として貢献した津田和男さんが2月18日未明ニューヨークの自宅で亡くなった。(享年76歳)。津田さんは北東部日本語教師会の会長として米国東海岸で日本語を学ぶ現地校の高校生を対象に同校を会場に開催してきた「春祭り」を主催した。30年目に当たる今年は、初めて会場をハンターカレッジに移して開会式でも元気な姿を見せて挨拶、日本語を学ぶ現地校の高校生と大学生が初めて交流する悲願の高校大学連携を達成したばかりだった。津田さんは1948年埼玉県出身。2022年にUNISを退職。22年に全米日本語教育学会(AATJ)から生涯功労賞を受賞。
米国人に日本語教育
身を投じた津田さん
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「津田先生に習うと、子供たちは自主的に勉強するようになるんですよ」。今から40年近く前の国連国際学校(UNIS)での母親たちの評判はすこぶる良かった。三島由紀夫の『金閣寺』は、教室で教師の手を離れて生徒間のディスカッションへと発展していく。時には小説の書き出しの1行に込められたさまざまな意味を考えるために3か月の授業を費やしたこともあったという。埼玉県出身。麹町小学校、麹町中学校、東京都立上野高等学校、上智大学社会学科卒業。大学では、社会学者鶴見和子のゼミに所属し、マックス・ウェーバーや柳田国男の研究に没頭、そのままゼミの助手として大学に残っていた時に、同大の英語教授がニューヨーク州キャッツキルで在米日本人子女を集めたサマーキャンプを行うことになり、それがきっかけで来米した。キャンプは大成功し、津田のひたむきな姿や子供に対する親身な世話ぶりを本物とみてとった教授が国連国際学校への教師として推薦してくれた。
「日本語に対するアメリカ人生徒の関心度は毎年右肩上がりです。日本語を学ぶアメリカ人生徒と日系のルーツを持ち継承母国語として日本語を勉強する生徒との日本語力が均衡してきたのがここ数年の特徴です」。UNISを退職して2年の歳月が経った昨年暮れ、ウエストビレッジの喫茶店で資料を手に熱く語っていた姿が印象的だ。
ニューヨーク市立大学・齋藤和子さんの話「コロナの影響で高校生向け恒例イベント春祭りが中止となった。バーチャル開催を模索する先生に頼まれ、大学でオンラインコースを担当、中高でも日本語を教えている私が準備に携わるようになった。訃報の前週、最後にご一緒した第30回NECTJ文化祭@ハンター大学は、29年続いた春祭りが前身であり初の高大連携イベントであった。また多様な経歴を持つ日本語教師が共に学べる「ボストン・NY合同勉強会」を共に立ち上げた。UNIS退職後、教室外へ活動の場を広げた先生。昨年のウガンダ視察には医療を志す大学生の娘も同行させてもらいお世話になった。画面越しでの挨拶は「先生、今はどちらですか?」が定番であったが、ついに先生は天国へと旅立たれた。未来志向、世界規模のビジョンを語っていた津田先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます」