米広告写真界で一時代築く
買い物帰りの路上で突き飛ばされ転倒
ニューヨーク在住の写真家、HASHIの名前で知られる橋村奉臣さんが12日、入院先の市内ベルビュー病院で亡くなった。79歳だった。近親者の話によると、橋村さんは10月22日午後8時20分ごろ、買い物先のスーパーから自宅に戻る途中の3番街30丁目と31丁目の間の歩道で、男性に右手に持っていた杖を蹴飛ばされて突き飛ばされ車道に転倒、後頭部を強打した。歩行者が救急車を呼び、緊急連絡先に登録されていた近親者の日本人女性が現場に駆けつけた時はまだ意識があったという。ベルビュー病院のエマージェンシールームに搬送され、右後頭部脳挫傷と診断されて翌日に手術をして一命を取り止めたが、その後2週間意識不明の状態が続いた。12日午前0時51分死亡した。警察は、橋村さんを突き飛ばした男性を防犯カメラで犯人と特定し、事件翌朝31歳の米国人男性を逮捕した。
橋村さんは1945年大阪府茨木市生まれ。1968年に来米。74年にHASHIスタジオを設立。クリエイティブの水準が極めて高く、かつ熾烈な競争で知られているニューヨークの広告業界において常に第一線で活躍、その力量が高く評価された。広告写真の分野で、卓越したHASHIスタイルを確立。1980年代前半より、肉眼では捉え難い2万分の1秒の世界をとらえた独自の技法、「アクション・スティル・ライフ」で一世を風靡し、広告業界において、その地位を不動なものにした。米国だけでなく世界の広告代理店200社以上を通じて、世界の優良企業500社以上に作品を提供した。代表的な作品としては、『エスクァイア』誌50周年記念ポスター「喜び — Cheers」=写真上=がある。
近年はアート作品も
HASHIさん独自の世界観
クアーズの缶ビールが、もんどりを打った。夕方の4時なのか、明け方の4時なのか、かれこれ12時間近くも、この窓のないスタジオで写真を撮り続けている。23枚目の8x10だ、1個のグラス、一つの宝石、シガレットケース、この動かぬ物体たちが語りかけてくる。「人が精魂込めて作り上げたものには生命を感じる」その生命が「物」の表面だけでなく内面に潜む魂までも写せと訴える。熱い視線に触れたとき、2万分の1秒の世界で瞬時の命が火花を散らす。変哲もない商品にどのように味をつけ、1枚の写真の中にいかにしてドラマを盛り込むか、これがこの男の仕事の全てと言っていい。
光と影の魔術師、橋村奉臣。人はHASHIと呼ぶ。ニューヨークの広告業界で五指に入る超売れっ子写真家と言われる。手がけるクライアントにカンパリ、コカコーラ、コダック、キヤノン、オリベッティ、アラミス、シティバンク、ジョンソン&ジョンソンなど米国を代表する企業名がズラリと並ぶ。商業写真家全米年鑑の最高峰と言われる「アメリカン・ショーケース」でもギャリー・パウエル、アンドリュー・イネックスら一流写真家とともにトップ10の常連だ(「ザ・ニューヨーク・ヨミウリ紙」1987年6月25日号より。『どっこい生きてる日本人』(読売新聞社刊・1994年発行に収録。文・三浦良一)。
近年は、アーティストとしての活動も始め、米国でソロデビューとなるYasuomi Hashimura展「未来の原風景-パリ・ローマ・ジャパン」を2021年にフィラデルフィアのユニーク・フォト・ギャラリーで開催している。
橋村のオリジナル作風「ハシグラフィー」は、写真と絵画を融合させた中に、橋村のファインアーティストとしての新たな可能性と独特の時代観やモノに対する価値観が表現されている。時代不詳のモノトーンな作風は「今から1000年後、西暦3000年の未来社会で生活する人の目から見た現代」を映し出そうとしている。「私はこれまで、瞬間の写真を撮ってきたが、このシリーズは全く違った観点から1987年パリから作り始めた。米国では初めての発表」と話していた。
写真家・茶野邦雄さんの話「HASHIさんに憧れ、何者かになりたい多くの写真家がNYを目指してきた。そして私も含め名もなき若者を分け隔てなく迎えてくれたのもHASHIさんだった。日本人写真家が世界でも通用することを自らが証明し、後輩たちの未来をも切り開いた功績はあまりにも大きく、感謝以外に言葉が見つからない。どうか安らかに。合掌」。