わるく育つと鬼になり

 レイモンド・チャンドラーが造形した私立探偵フィリップ・マーロウが『プレイバック』の中で「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」と言ったことを、つまりは「気は優しくて力持ち」の足柄山の金太郎のことかと気づいたのは読後かなり経ってからでした。そしてまた、強さと優しさのその2つが、人間がやっと辿り着いた民主制度という政治体制の2本柱だと考えるようになったのはトランプ政権が出てきてからのここ数年のことです。

 確かにこの世界は強くなければ生きていけない。例えばアメリカをとってみても、英国国教会の権力から自由なピューリタンの国を作ろうと海を渡った17世紀から、アメリカ先住民(インディアン)を蹴散らし、ボストン茶会事件からアメリカ独立宣言に至る18世紀を経て現在の連邦国家の基礎を拓いた19世紀の西部開拓時代に至るまで、それはまさに自分たち(白人男性)による民主国家の建設に、自主独立の精神と強い自助の力が必要だったことを示しています。

 しかし社会が工業化で豊かになる20世紀に入るとひずみも生まれました。第一次大戦後の好況の中で株式投資の「大強気」相場がピークに達した1929年、そのひずみは大恐慌で一気に露呈します。

 路上に失業者・困窮者が溢れ、自助だけでは立ち行かなくなりました。自由放任経済の「小さな政府」の米国は、大幅な財政出動での公共事業や工業生産の国家管理、銀行への監視も厳しいニューディル政策に転じ、さらに国内購買力の回復のために労働者の保護や社会保障の充実などにも着手しました。つまり「大きな政府」です──そう、これが「自由」や「自助」だけではない、近代民主資本主義社会の「優しさ」取り込みの始まりでした。

 もっともそれは一朝一夕には成立しません。アメリカ社会に「強さ」と「優しさ」の両立をもたらしたのは皮肉にも第二次大戦での武器生産による戦争景気です。さらに、2度の大戦による女性の社会進出と黒人や先住民たち社会的マイノリティの人権意識の目覚めが、白人男性中心だった民主社会に「公平さ」と「平等」を要求するようになる。ベトナム戦争泥沼化による「強さ」への反省もまたその流れに拍車をかけ、エイズ禍後には「公平・平等」の一つの到達点として性的マイノリティへの配慮や同性婚合法化も進みました。

 民主社会の健全さは「自由と自助」の強さと「公平と平等」の優しさとがうまくバランスが取れてこそ担保されます。「金太郎わるく育つと鬼になり」という江戸時代の川柳がありますが、まさにそれです。

 そう考えると、今選挙でのトランプvsハリスの対立は、ロシアや中国のような専制主義vsアメリカ的民主主義という構図ではなく、民主主義そのものの中にある2つの対立概念、つまり「自由」と「平等」とが、互いに極端だと非難し合っている構図です。

 フロンティア精神というアメリカ社会の柱は、国家より先に個人(白人男性)の自由や自助や強さを優先します。そしてその建国の精神が、BLM運動やMetoo運動やLGBTQ運動や移民受け入れ政策の旗印である公平さや平等主義を、急進的で左翼的な特権授与や偏重だと非難している。その鬱憤を、罵詈雑言で攻撃するトランプが掬い上げているのでしょう。

 トランプの再選は、彼が言うよりもっと前の、アメリカがグレートだった開拓時代の自由と強さへの回帰です。対してハリスの当選は、彼らには「自由な国家の安全」の危機であり、恐ろしい話ですが、武器を保有する「規律ある民兵団」の組織を保障した憲法修正第2条の適用対象なのかもしれません。

 選挙は来週火曜日です。

(武藤芳治/ジャーナリスト)