とあるコンサート会場にて

 蝉が力の限りに啼く、溶けそうな東京を離れ、涼しい軽井沢でこれを書いています。暑い時はなるべく仕事を入れず楽しく過ごそう、とあちこち出かけていますが、今回はそんな中あるコンサート会場で起こった事を書きたいと思います。その日は大好きなエルガーのシンフォニーと、滅多に演奏されないバルトークのピアノ協奏曲が聴けるとあって、久しぶりにワクワクしながら会場に行きました。日本のオケを日本の音響の良いホールで聴くのは一体いつぶりかと、興奮を覚えつつ会場一杯に拡がる音楽に身を任せていたら、あっという間に前半が終わってしまいました。これまで何度かご一緒させて頂いた東京交響楽団と尊敬するマエストロ、そしてバルトークが得意なトルコの著名なピアニストのコンビネーションはかなりスリリングで面白く、前半終了後の休憩中に、近くに座っていらしたオケ上層部の方と、マエストロご家族と色々語り合っていましたら突然、私達の話し声がうるさいから客席から出ていけと、少し前の座席に座っていた初老男性2人から言われました。休憩中に客席で話してはいけないなどという変なルールはある訳もなく、「もしうるさいとお感じなら、そちらが出て行かれたら良いのでは?」と喉元まで出かかった言葉を、その日のコンサート関係者である隣のお二人の手前、何とか呑み込み、そのまま声を小さくして話し続けました。(声楽家の話し声はうるさいとよく言われるため、その日も一応は気をつけて話していたのですが!)が、どうにも腹の虫が収まらず、その内モヤモヤしたまま後半が始まってしまいました。しかし折角のエルガーですから、気持ちを切り替えて楽しむことに。脳の奥がシンとする様な始まりに心を掴まれ、楽章が進むにつれ、味わい深くも色彩豊かな響きに包まれ、エルガーの人生礼讃とも言うべきサウンドが押し寄せ、ああ生のオケはやっぱり良いわ!と休憩中の嫌な思いも忘れ、すっかり浸っておりましたら、ふと先程の初老男性2人が、背筋を伸ばして聴いていらっしゃるのが見えます。最初は感動に包まれて動けないのかとも思ったのですが、どうもそうではない様子。少し官能的な音楽の場面でも全く微動だにせず、身体はピンと張り詰めたまま。少し不思議な気がしたのも束の間、ああそうか!この方々はこれを勉強だと思っているのだと気づきました。オーケストラを聴く、と言うと何か高尚な事の様に、まるで教養の一部の様に捉える方がいらっしゃるのも分かりますが、このお二人もそうだと考えると、休憩中の事も納得が行きます。つまり神聖なコンサートホールで、いくら休憩中とはいえぺちゃくちゃ喋るとはけしからぬ、と言うわけなのでしょう。エルガーはグロリアスに終わり、思わずブラーヴィ!!と声をかけた私を、案の定その2人は振り返っていましたが、彼らの気持ちも少し理解した私としては、これからもう少し肩の力を抜いて楽しんで頂けたらいいなぁと思うばかりでした。

田村麻子=ニューヨークタイムズからも「輝くソプラノ」として高い評価を受ける声楽家。NYを拠点にカーネギーホール、リンカーンセンター、ロイヤルアルバートホールなど世界一流のオペラ舞台で主役を歌う。W杯決勝戦前夜コンサートにて3大テノールと共演、ヤンキース試合前に国歌斉唱など活躍は多岐に渡る。2021年に公共放送網(PBS)にて全米放映デビュー。東京藝大、マネス音楽院卒業。京都城陽大使。