医務官と邦人支援
仲本光一・著
世論時報社・刊
在外公館に派遣されている医務官の仕事は、館員と家族の健康管理、現地医療事情の調査と在留邦人への情報発信だ。 さらに、 在留邦人や邦人旅行者への健康相談や緊急事態の時の邦人援護を行うこともある。本書は、その医務官としてニューヨーク日本総領事館に2005年から2007年まで勤務した仲本光一さんが執筆した新刊で、拉致問題から同時多発テロ事件まで海外邦人を支えた彼の仕事の現場を振り返った「想像を超えた難事の日々」を綴ったメッセージだ。
仲本さんは川崎市出身で、弘前大学医学部を卒業して医師国家試験合格後、横浜や藤沢の病院で約10年間の勤務を経て外務省医務官採用試験に合格して1992年に入省した。すぐ在ミャンマー日本大使館へ医務官として派遣された。インドネシア、インドの在外公館勤務を経て2005年にニューヨーク日本総領事館に赴任し、メンタルヘルス担当官・医務官として働いた。ニューヨーク勤務中に、仲本さんが当時の米国日本人医師会会長だった本間俊一コロンビア大学教授からニューヨークにおける医療機関と医療活動をしている日系NPOとの連携強化の必要性を訴えられ、仲本さんが中心となって現在の邦人医療支援ネットワーク(JAMSNET)設立に関与した。
ニューヨークでは、ニューヨーク日系人会(JAA)が在米邦人や日系高齢者への福祉活動を行なっているほか、メンタルヘルスを中心にした日米カウンセリングセンター、困窮した日系人の駆け込み寺として救済相談などをしている日米ソーシャルサービス(JASSI)など多数のNPOがそれぞれ独自に活動を行っていたが、横の連携は希薄だった。そこで日系社会が抱える医療福祉のどこに弱点があるのかどこの支援が今最も必要とされているのかを総括的に判断できる組織が必要とされたのだ。
こうした支援NPO、医療のほかに福祉、教育、生活支援などの団体がNY日本総領事館で一堂に会して定期的に会議を持つことになった。幼少時代からピアノを習い、学生時代はジャズ研でピアノを弾いていた仲本さんが、多くのプレイヤー達が集まり、楽譜にとらわれず、共通の目的のために一つの音楽を奏でるジャズのジャムセッションにひっかけて邦人医療支援ネットワークを「ジャムズネット」と命名したのは仲本さんならではだ。ニューヨーク日系人会がジャムズネットと共催で開催したヘルスフェアは、春と秋の年2回開催されるようになり現在まで続いている。ジャムズネットの環は、東京やシンガポール、ドイツなどにも広がった。
同書では、2001年ハワイ・オアフ島沖で愛媛県立宇和島水産高校の練習船えひめ丸が米原子力潜水艦と衝突して教員5人、生徒4人が亡くなった時に遺族が求めた遺体との対面を外務省が米国側と交渉した経緯、北朝鮮拉致問題で2002年に小泉純一郎首相(当時)訪朝時、外務省医務官として同行し、北朝鮮が主張する横田めぐみさんの死亡について、平壌直轄市から離れた片田舎の精神病院の病院長から話を聞き、死亡台帳を見せてもらいそれを写真に記録した経験など、重大事件の証人として本書に書き記している。退官後、仲本さんは現在奥様の故郷岩手県で保健所長をされている。(三浦)