映画「オッペンハイマー」

【編集後記】

映画「オッペンハイマー」


 みなさん、こんにちは。映画「オッペンハイマー」を見てきました。ピュリッツァー賞を受賞した伝記「オッペンハイマー『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」(カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン)を基にクリストファー・ノーラン監督が脚本を執筆したものです。日本での公開は未定です。オッペンハイマーは、理論物理学の広範な領域にわたって大きな業績を上げた米国人で、特に第二次世界大戦中のロスアラモス国立研究所の初代所長としてマンハッタン計画を主導し、卓抜なリーダーシップで原子爆弾開発の指導者的役割を果たしたため、「原爆の父」として知られます。映画はハーバード、イエール、プリンストンなどの研究所で学者としての頭角を表しながら科学者として原子爆弾を製造、実験していく様子が描かれますが、傑出した科学者チーム4000人が3年間かけて製造した爆弾がどれほどの悲劇的な惨状を生み出すことになるのかについての科学者たちの想像力の欠如が映画では如実に描かれています。もともとナチスドイツ攻略を目的に始まった原子爆弾の研究と製造は、爆弾の完成を待たずにドイツが陥落したことで、使う先がなくなり、その矛先が、戦争集結の見通しが依然見えない「JAPANがある」と簡単に向いてしまいます。原爆を投下する日本の候補地12都市の中からどこに原爆を落とすかを決める会議で「京都は外そう。文化遺産が多いし、私がハネムーンに行ったとこだから」という選考委員の発言に映画を見ていた観客から笑いが起こりました。オッペンハイマーは「想像を絶する破壊力のある原子爆弾の威力を軍部が知れば、あまりにも恐ろしくて誰もそれを使おうとはしないだろう」というのが製造の本心だったと後に語っていますが、その意に反して原爆は広島と長崎に落とされました。映画でその事実は「広島に原子爆弾が落とされ多くの日本国民が死亡し、これからまだまださらに死者が出る模様」という聞き取りにくいラジオの放送が流れるだけです。キノコ雲の映像も、一面焼け野原になった広島の映像も、被爆者の記録写真も映画では一切映し出されません。アメリカでは戦争の早期終結の最大の貢献者として英雄となるオッペンハイマーの姿と歓喜に沸く米国民、研究仲間たちの誇らしい笑顔が映し出されます。ポップコーンを食べながら思わす溜息が出て、片手落ちの映画だなと思いました。日本人としてこの映画は原爆の恐ろしさを全く伝えていないどころか、伝える気もない映画だと思え、今週の映画評に書くつもりで締め切りの忙しい中を縫って見に行きましたが、記事にするのも汚(けが)らわしいと思い、原稿は書きませんでした。ウクライナとロシアの核の危機、北朝鮮の核兵器の開発と、現代もなお核兵器の脅威が高まる中で、アメリカで原爆の悲劇に目を向けない原爆映画がこうして公開されている現実に、今なお加害者と被害者の間の意識に大きな乖離を感じます。原爆は今の法令基準に当てれば立派なジェノサイド条約違反の大量殺戮のテロだと思います。戦争に負けて東京裁判で捌(さば)かれる側の立場になった日本ですが、一般市民を巻き添えにしたテロ行為に対して、日本はアメリカに謝罪を求めてもいいくらいだと思います。アメリカは戦後、ずっと日本を核の傘で守ってくれた「お兄さん」ですが、私は弟だったとしても言わしてもらいたです。「兄ちゃん、いつも守ってくれてありがとうね。でも、原爆はひどいよ、謝って欲しいな」と。お兄さんはなんて言いうでしょう。「お前さ、パールハーバーって聞いたことあるか?先にどっちが謝んなきゃなんないかな。どっちもかな」。また8月6日と9日が今年もやってきます。ニューヨークでも今週末から平和式典が開催されます。それでは皆さんよい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)