首相と林外相を表敬
スザンヌ・バサラ米日カウンシル会長兼CEOを代表とする在米日系人一行10人が外務省の招きで訪日し、今月8日午前10時15分、外務省を表敬訪問し、約20分間、林芳正外務大臣と面会した。この中で、林外務大臣から、今回で20回目、平成31年3月以来4年ぶりとなる在米日系人リーダー一行の来日を歓迎するとともに、これまでの日米関係強化における米日カウンシル及び在米日系人コミュニティへの支援に謝意を伝えた。在米日系人側からは、今回の招へいに深い感謝の意が表明され、今後それぞれが日米関係強化のため活動していきたいとの発言があった。日本と日系人コミュニティの共通の課題や東アジア情勢について意見交換が行われた。経済界だけでなく、非営利団体のリーダーたちとも会った。
(写真上)外務省で林外務大臣を表敬訪問した米日カウンシルの訪日団
日系人の活躍に膨らむ期待
米日カウンシルで訪日したカタヤマ氏に聞く
外務省の招きで訪日した米日カウンシル(USJC)のフレデリック・H・カタヤマ氏に訪日の感想を聞いた。
本紙 今回の訪日で最も印象に残ったことは何ですか?
岸田総理大臣、林外務大臣、河野大臣、経団連、経済同友会、パソナ創業者の南部靖之氏など、日本の政界、官界、財界の有力者に接することができたことが印象に残っている。あるアメリカ大使館関係者が言うように、来日したアメリカの国会議員でさえ会えないようなリーダーたちの顔ぶれだった。また、日本のリーダーたちが、日系米国人に会うことに真摯な関心と敬意を示していたことも印象的だった。少し前までは、多くの日本人が日系人を「日本を離れた移民の子」と見下していた。今回の訪問でお目にかかった国会議員は「日系人の皆さんに何かできることはないでしょうか 」ととても友好的だった。また、米国における日本のポジティブなイメージは、日系人の成功のおかげだとする人もいた。 2008年、ロサンゼルスでUSJCの創設メンバー(私もその一人)が集まり、ミッション・ステートメントとビジョン・ステートメントを作成した際、ダニエル・イノウエ上院議員は「我々日系人は今、日米関係に影響を与えることができる権力のある立場にある。私たち日系米国人は、日本人や他のアメリカ人と一緒になって、日米関係の改善に貢献すべきだ」と言った。
今回、私は、岸田首相との記念写真撮影のために近づいたとき、私が何か言う前に、首相の方から「以前にもお会いしましたよね?」と言われた。確かに、昨年9月にニューヨークで日本食のイベントで少しお会いし、2013年には東京で開催された米日カウンシルのイベントで司会者として紹介した際にもお会いしているが、覚えていてくれたことをとても嬉しく思った。それと日本の食事や料理の質、特に野菜の新鮮さが印象に残っている。日本航空の料理も極上だった。東京に向かう時はいつも機内で、日本の音楽を聴くが、海援隊の「贈る言葉」が流れてきて、コロンビア大学で日本語を学び、ドナルド・キーン教授から日本文学を学んだころのことが思い出された。「3年B組金八先生」は、コロンビア大学の学生の頃、日本語を上達させようとよく見ていて「贈る言葉」はそのテーマソングだ。
本紙 日本では若者が少数派になり、経済的にも学業的にも苦境に立たされていると言われています。それを感じましたか?
ある若い大学生が、「日本は好きだけど、将来は悲観している」と話した。理由を聞くと、高齢化社会、女性の機会均等の欠如、低賃金、高齢者ばかりを気にして若者を顧みない政治家などを挙げた。また、別の学生は、「仲間が情熱的なので、楽観的に考えている。しかし、学校が十分な課外活動を提供しないために、学生のモチベーションが下がってしまうという悲観的な意見もあった。私自身は、大学が学生や学部を国際化し、多様な考え方に触れられるようにする必要があると感じている。つまり、ハーバード大学やコロンビア大学と競争できるように、卒業生や保護者に寄付をしてもらうのだ。日本の慶應義塾のような比較的裕福な学校でも、国際的なランキング(日本の大学はランキングを下げ続けている)や寄付金において、アイビーリーグと比較すると見劣りする。また、学生にはリスクを取ることを勧める。引きこもりで家に閉じこもっていてはダメだ。 旅行や留学をすることで、国際的な視野を持ち、また外から日本を見ることができるようになる。彼らが大人になったとき、職場でリスクを取ってイノベーションを促進したり、計算された投資リスクを取って、(タンス預金をしたり、金利がゼロに近い銀行に預けたりするのではなく)、世界中の株式市場で投資して資産を膨らます人が増えるといいのだが。日本は、その気になればできる。明治時代に「文明開化、立身出世」を掲げて、それを実現した。岩倉使節団が6歳の津田梅子をアメリカ行きの船に乗せ、帰国後に津田塾大学を設立し、日本初のフェミニストの一人となった。1980年代のバブル期には、日本も散財の限りを尽くしたが、超大規模集積回路を利用した第5世代コンピュータ計画で想像力を膨らませた。企業は社員をアメリカのビジネススクールに続々と送り込んだ。経済産業省は、年金受給者を海外に派遣し、物価の安い国に住まわせ、日本の民間企業が開発したシニアコミュニティに移住させるという「シルバーコロンビア計画」といった突飛なことも考えた。しかし、バブルが崩壊して日本は内向きになり、超保守的、超慎重になった。今回の振り子は、その逆を行き過ぎた。これからは、外を見る目を養わなければならない。アメリカ人はもともと楽観的すぎるかもしれないが、今の日本人は悲観的になりすぎている。陽はまた昇る、雲の向こうにはまだ太陽がある、明日は今日より良くなる、そう信じるようにしなければならない。米国が高インフレに苦しみ、不況から脱したばかりの頃、レーガン大統領の再選キャンペーンでは、”It’s morning in America. “と言った。この言葉は、有権者に勇気を与えた。日本の元同僚が言っていたように、バブルが崩壊して数年後に「もうお終い」と言うのは、自滅的である。日本も賃金を上げ、生産性を向上させる必要がある。そうでなければ、出稼ぎのリスクがある。生産性が上がれば、企業は賃金を上げることができるようになる。生産性を高めるには、イノベーションが必要だ。日本はイノベーションを促進するために、大学への投資と国際化が必要であり、企業は研究開発予算を拡大し、労働者が既成概念にとらわれず、リスクを取ることを奨励する必要がある。
本紙 日本人と日系人の共通の課題は何だと思いますか?また、どのような意見をお持ちですか?
日本人が第二次世界大戦の敗戦の灰の中から不死鳥のように立ち上がり、経済の奇跡を生み出したように、日系アメリカ人も教育やあの頑張り精神によって収容所から立ち直った。日本人も日系人も油断してはいけない。ハングリー精神を持ち続け、遊びや学校、職場で自己を主張することが必要だ。だが、だからといって、儒教的な労働倫理や教育倫理、倹約や正直といった価値観など、日本人としての強い文化的特質を捨ててはならない。