NYマラソン36回目の挑戦

レストラン日本副社長

馬越恭弘さん帰国へ

 ニューヨークマラソンを35回走り続けた男がいる。馬越恭弘(まこし・やすひろ)さん(69)。45年前にニューヨークにやってきた。江戸前を売り物にするレストラン日本の創業者、倉岡伸欣さん(故人)を頼って来米し、レストラン日本の大番頭として仕えて一筋45年。今月6月末を持って同店副社長を退任し、帰国する。

 馬越さんは、日本のビール王と言われた大日本ビールの創業者、馬越恭平(1844年〜1933年)を曽祖父に東京で生まれ、学習院大学経済学部卒業後、ホテル・オークラに就職した。入社まもない研修生としてホテル内のカフェで働いていた時、コーヒーの注文を取りに行った相手が倉岡氏だった。倉岡氏は、その青年の胸の名札に目を止めた。馬越さんがまだ小学校3年生のとき、母親が単身でカリフォルニア旅行へ行き、帰りの飛行機で倉岡さんと隣り合わせとなり会話が弾んだ。時は流れたが、倉岡氏は馬越という名が大日本ビール創業者の名前であるということだけは脳裏に焼き付けていた。「私ね、君のお母さんに13年前に会ってるかもしれないよ、アメリカから戻る飛行機の中で」それがNYとの縁が生まれたきっかけだった。

 一流ホテルに就職したとはいえ「ご先祖様の大ゴネで入った会社。そこで男子一生を過ごすのもどうか」と青年馬越さんは悩んだという。そんな思いを母親に相談すると、NYの倉岡さんに連絡するといいという。手紙を書いた。1977年6月18日。45年前の夏、ジョン・F・ケネディ国際空港に降り立った。以来、ニューヨークの寿司ブーム、日本食ブームの最先端で伝統的な江戸前料理を出し続ける倉岡氏に仕え、同店は今年8月19日に創業59周年を迎える。

 マラソンは、ニューヨークに来て7、8年たったころ、店の仲間と申し込んで走るようになったのがきっかけだ。もちろん倉岡氏も加わって走ることに。2006年、馬越さんが55歳だった時の3時間を切る記録2時間50分が自己最高記録。同じ大会に癌撲滅チャリティーのために出場した元国際自転車競走のランス・アームストロング選手の2時間59分35秒の好タイムを上回る成績だった。「人生コツコツと一歩一歩進んでいれば、何かびっくりすることが起こる、というのが私の信条」。店内大改装中に起こったパンデミックは「ゴールの見えないウルトラ・マラソンみたいでした」と振り返る。11月のNYマラソンは「妻の許可も出たので」と前置きし、36回目の挑戦のためNYに戻ってくるという。(三浦良一記者、写真は本人提供)