ニューヨークのとけない魔法 ②
岡田光世
ある夜、いつもよりかなり遅れて、夫が家に戻ってきた。バスがなかなか来なくて、ずいぶん待たされたよ、と言いながらも、なんだかうれしそうである。
待てども、待てども、バスは来ない。本を読むには、もう暗すぎる。ほかにすることもない。バス停のベンチには、黒人の女の人と自分しかいなかった。
I don’t believe this. まったく、信じられないよ。 その女の人はあきれたように首を横に振り、ため息をついている。仕事の帰りなのだろうか。疲れ切った様子だ。 どちらからともなく、会話が始まった。その人は身の上話を始めた。夫が家を出ていき、離婚。双子をひとりで育てているという。毎日、本当に大変なんだよ、私が働いている間、妹が子どもたちの面倒を見ていてくれるんだけどね。 自分も一卵性の双子である夫は、でも双子もなかなかいいものですよ、と高校の頃のエピソードを話した。男子校に通っていた双子の兄が、一度、男女共学を体験してみたいというので、制服を取り替え、そ知らぬ顔をしてそれぞれ相手の学校に登校した、というこれまで何度もしてきた話だ。 それを聞くと、女の人はパンと手を打ち、大笑いした。 そんな取り留めのない話をしながら時間をつぶしていると、予定より三十分以上遅れてバスがやってきた。 混んでいたので、この女の人と夫は離れた席にすわった。 終点で夫がバスを降りると、さっきの女の人がドアの前で立っていた。そして夫の腕を軽くつかむと、こうささやいた。 I really enjoyed talking with you. You made my day.
話ができて、とても楽しかったよ。おかげで、今日一日がとてもいい日になったよ、ということだ。
なんとすてきなほめ言葉だろう。
玄関のドアを開けた夫の顔にも書いてあった。
She made my day.
このエッセイは、シリーズ第1弾『ニューヨークのとけない魔法』に収録されています。40万部突破の「ニューヨークの魔法」シリーズ(全9巻)は文春文庫から刊行されています。
文庫本では改行の箇所が、紙面では1文字空けになっています。