初夏にマドラスジャケット

イケメン男子服飾Q&A 69

 ここ数年、人気が復活しているクラッシックな夏向けの素材があります。インディア・マドラスと呼ばれる、インド産の綿織物です。無地やストライプはもちろんなのですが、マドラスと言えばなんと言ってもチェック! そうマドラス・チェック!
20年ほど前にインドの大都市の名前がいくつか変わりました。ボンベイがムンバイに、マドラスはチェンナイに。町の名が変わったからと言ってチェンナイ・チェックでは…(笑)、やはりマドラス・チェックでないと(笑)。
昔、インドでは今以上に繊維産業が盛んでした。カシミヤやシルク中心の動物繊維、綿を中心の植物繊維のどちらも。カシミヤの語源はインドのカシミール高原ですし、ペイズリーという花柄はヒンズー教由来。カシミヤのショールや絨毯などの生産の中心地がスコットランドのペイズリーという街だったのでそう呼ばれる様になったのです。
インド産綿製品はフンワリした高級品が17世紀後半のヨーロッパでたいそうな人気となったのですが、出荷港カリカットの名がなまて〃キャラコ〃と呼ばれていました。
そして英国人は考えたのです。植民地としたインドから優れた綿の原料を安価で輸入して英国内で大量生産、それを世界中に売って大儲けしようと。なんと、それが産業革命のきっかけだったのですね。そしてそのために英国は信じられない残酷なことをインドで行ったのでした。インドの多くの優れた繊維職人さん達の両手を切り落として製品を作れなくしてしまったのです! こうしてインドの高級綿製品業界はほぼ壊滅、原料を英国に輸出し英国から高額の綿製品を買うしかなくなってしまったのでした…。こういうのが典型的な西洋の植民地経営。
残されたのは日常着向けの綿。高級品ほどには原糸を吟味せず、撚糸も単糸のままだったり、織られた生地の表面にはブツブツっとしたのがあったりしてカジュアルな雰囲気。こうした安価な生地をインドの商人は19世紀末からアメリカに売りに来ていましたが、商売に火がついたのは半世紀後の1950年代、アイヴィーリーグ・スクールの学生さん達にチェック柄のジャケットが爆発的人気となったのです。チェック柄のデザイン・ソースはタータン・チェックだったという話も。大人気となった理由はその〃不完全さ〃。マドラス・チェックの色柄は確実に色落ちするのです。洗っても、また太陽光線の紫外線の影響などで色が焼けやすかったりと。面白いことに、そうしたテイラードのジャケットが製品として変化していく「不完全さ」が独特の「味わい」としてウケた最大の理由だったのでした。色落ちは breeding と言われました。実はインドは昔から天然の藍インディゴなど、染料の産地でもあったのですね。
 アメリカ人には綿の藍染の色落ちは、ブルーデニムで自分たちの文化だったという意識があったのかもしれません。いま、マドラス・チェックには化学染料が多く使われる様になり、昔ほど色落ちはしませんが、自然で素朴な風合いは昔のまま。この夏、マドラス・ジャケットを羽織られて夕暮れ時にカクテルなどいかが? それではまた。
けん・あおき/日系アパレルメーカーの米国代表を経て、トム・ジェームス・カンパニーでカスタムテーラーのかたわら、紳士服に関するコラムを執筆。1959年生まれ。