商業主義に反旗貫く
世界映画界の巨匠逝く
米国の実験・前衛映画界のゴッドファーザーと称されるジョナス・メカスさんが1月23日、ニューヨーク市の自宅で亡くなった。96歳だった。
メカス氏は1922年リトアニア生まれ。ナチスによる収容所生活を経験後、49年に弟とともに難民として渡米。ニューヨーク市に定住して映画の世界へ入った。アンチ・ハリウッドを貫き数々の実験映画を制作、また実験映画の上映禁止という風潮のなかで安全な上映ができるようにとイーストビレッジにフィルム・アンソロジー・アーカイブズの設立に関わるなど実験・前衛映画の文化を牽引した。その人生は『メカスの映画日記』(フィルムアート社、飯村昭子訳)『メカスの難民日記』(みすず書房、飯村昭子訳)などに詳しい。
ニューヨークを拠点に映画史を研究する平野共余子さん、昨年10月14日にブルックリンにあるメカス氏のスタジオ兼自宅でインタビューをしたアーティストの伊藤知宏さん、メカス氏の著書を訳した飯村昭子さんが本紙に談話を寄せた。
平野共余子さん(映画史研究家/ニューヨーク在住)
ジョナス・メカスは伝説的な映画作家で、世界中で「映画の神様」と崇められ、訪ねて来る人々も大勢いました。リトアニアに生まれ、ニューヨークに渡ってからはカウンター・カルチャーのメッカ、『ヴィレッジ・ヴォイス』誌でハリウッドの商業主義に反旗を掲げる熱論を執筆。自由自在な映像を創り、多くの映画作家志望の若者を鼓舞。アンソロジー・フィルム・アーカイブを設立して実験映画や個人映画などの非商業映画を果敢に上映し紹介してきました。世界映画史の巨人の一人で、日本でもファンが多数いて、その業績は高く評価されています。
伊藤知宏さん(アーティスト/ニューヨーク在住)
僕のインタビューを彼の最後のインタビュー・フィルムにしたくはなかった。もう一度彼のインタビューを撮りたかった。彼は亡くなる直前まで今まで話したどのアーティストよりも明晰で寛大で優しく、差別もない文化人で冗談とワインが大好きなアーティストだった。まるで、孫に接するように僕に関わってくれた。賞賛の言葉は時にうそくさいが、彼の場合は賞賛の言葉以上だ。僕は彼が永遠に生きる事を望んでいたが、逝ってしまった。残された僕たちは、良い作品を作るべきだ。
飯村昭子さん(ジャーナリスト、作家、元OCSニュース編集長/東京都在住)
80年代のはじめ、ウォーホルやブラッケージなどの非商業的な個人映画をアートのジャンルに育てようとメカスがソーホーに作ったシネマテークによく通った。
ある日、暗がりのベンチでぼんやり映画の始まるのを待っていると、突然、鼻の先に真っ赤なバラの花が近づいてきた。いい香りがした。それを出している人を見ると、ジョナス・メカスだった。いたずらっぽい目が笑っていた。私も少し笑った。幸せだった。
(写真)アンソロジー・フィルム・アーカイブでのメカスさん(左)(昨年10月29日撮影、写真・伊藤知宏さん提供)